またACOを聴きたい病に罹り、“砂漠の夢”、“control”、“Lonely boy”を繰り返し聴くだけの休日になる。これらの歌、女性の歌でもあり、母の歌でもあり、相手を気遣う友達の歌でもあり、孤独をおそれない、いやむしろ孤独を自ら選ぼうとするだれかの歌でもある。しかしなぜ僕はこうして、最終的にたった一人になって、それでもひるまずに毅然として荒野に立つような人を好きなのか。“砂漠の夢”をはじめとしてACOの歌詞に何度も出てくる「綺麗ごと」という言葉の重みと刃切れの鋭さ、綺麗ごとなんか聞きたくない、それだったら今のままでいい、夢なんか、かなわない方がいいと言い切る。あなたがいなくても、そのことを楽しむ自分がいるからと。朝っぱらから、もはや滂沱の涙にくれるしかなくなる。

 

これ、かみしめて味わうためにも、ぜひ自分で歌ってみたい。上手い下手ではなく、心ゆくまで歌い通したいとも思う。カラオケ行こうかなと、生まれてはじめてそんなことを考えたりもする。カラオケ。この世で一番嫌いな仕掛けだ。そのはずだった。でも、それを利用したいと考える人の気持ちも、今ならまあ、わかることはわかる。しかし、僕はまあ行きませんけどね、たぶん。