坂本繁二郎展

練馬区立美術館にて坂本繁二郎展を観る。坂本繁二郎は1882年に生まれて、1969年に亡くなる。画業は約70年にもおよぶが、初期の1900年代の作品からすでに作品の質が完成形に近いというか、技術的に飛びぬけているだけでなく、最初から自身の仕事、目指すべきものがよくわかっていて、まっすぐにその方向へ向かっていったかのような印象を受けた。

 

坂本繁二郎のモチーフといえば牛であり馬だが、作品を観ているとなぜ牛なのかが理屈ではなくわかる気がする。画家はおそらく牛や景色や雲や空の固有性には関心がなくて、ただ絵画への関心だけがある。今自分が見ているものを受けて絵画をつくるときに、複数の量感、色彩、形態の交差を組織させるにあたって、固有の物質はそれらを仮留めするために最終的に必要とされるだけだ。牛のフォルムは背景の山の稜線と響きあい、背中の模様は雲に食い込み、腹の下の向こう側の景色は牛とどちらが前後関係なのかがわからなくなり、色彩の渦は距離を見失わせ、それらが牛や空や山ではない、ある力の拮抗した構造物=絵画にほかならないことだけが感じられる。

 

牛のシリーズはルドン的色彩の愉悦とニコラ・ド・スタール的堅牢なマチエールと確固たる構成力が合わさって圧倒的な魅力をたたえており、観ているといつまでも惹き込まれて絵から離れるのが難しいほどだが、フランスから帰国し、モチーフが牛から馬に変わるにつれて、絵画内の運動もやや変化していくように感じられる。がっしりとした構築性が後退するかわりに、流動性とか浮遊性の要素が多くなっていく。形態の凝縮力がやや弱まり、馬の身体感、重量感はあまり強調されず、色彩と光はより拡散の方向へ向かう。絵画としてはより複雑で取り留めのない方向へ向かっていくように感じられる。

 

その他にもフランスで描かれた女性像とか、静物とか、髪を洗う奥さんを描いた絵とか、およそ僕が「絵画」としてぼやっとイメージする最良の感じに、目の前のそれらの絵がかぎりなく近いものに思えて、ひたすら感動しっぱなしと言っても過言ではなかった。僕も年のせいか感情がゆるみがちで、ほとんど胸いっぱいな気分で会場をうろついていた。

 

ちなみに戦後の坂本繁二郎日本画壇においてまごうことなき巨匠となっており、依頼や注文も多かったようで、かならずしも自分が描きたいものばかり描いていたわけではないようなのだが、それはそれとして、晩年に入って数多く描かれた能面のシリーズについては、なかなか難しいというか、やや沈痛な思いで観た。年をとるって、わけわからないなあ、こんなことになってしまうのかなあと、未知の世界を垣間見るような思いだった。絵画に「顔」を書いてしまうというのは、これまでの仕事を振り返るとものすごい断絶的なものがあるわけで、なかなか凄まじいと思わざるを得ない。書物や箱を書いたシリーズとか砥石を書いたシリーズとか、その緩さ、揺らぎ、拡散・飛散の方向と堅固な構成との拮抗がものすごくて、晩年になってもおそろしく研ぎ澄まされた眼を感じさせるものだったのでなおさら。同じく月を書いたシリーズもやはり同様な思いで観る。熊谷守一もそうだが、なぜ画家は、爺さんになると、画面の真ん中に丸いものをぼつんと描きたくなってしまうのか、はっきりしたシンボルが浮かんでるみたいな絵を描いてしまうのか、僕にはそれがちょっと笑えないくらい不気味で怖いことのように感じられてしまう。野心とかスケベ心とか見栄とか克己心みたいなものの減衰が、すなわちこういう結果になるのだろうか。とまで言うと、晩年の作品が酷いみたいな言い方になってしまっているが、必ずしもそうではない。