自画像

そもそも自画像って何だろうかと思った。画家はなぜ自画像を描くのか、よくよく考えてみると説明がむずかしい気がするのだが、もしかして、なんとなくそれは、日記やブログを書くことに案外近いのかもしれない・・・などと思ったりもした。画家はひたすら、自分の仕事を続けるわけで、しかしそれが上手くいくかどうか何の保証もないまま手探りで進むしかないわけだが、もしかして自画像は、そんな地図も何ももたない行程において、本人の心がやや弱まって、迷いや逡巡が生じたとき、あるいはここで一旦今までのあゆみと自分の状態を冷静に確認しておきたいと思ったときに、ある意味本来の仕事からやや離れて、というかあえて距離をとって、それをやっている自分というものを一旦俯瞰して見下ろしてみたいと思ってする仕事なのかもしれないと思った。ということは、自画像とは、ある仕事を続けているこの画家を描いてるという意味において虚構の物語をテーマにしているとも言える。このような人間が、このような仕事を続けている様子がこれだと。それをどう思うのかを、描いた本人が見て考える。仕事をしている自分が描かれていて、それを自分が見る。あらかじめそれを見たいと思って描くから、自画像はますます画家の本来の仕事から離れたものになって、まるで絵の(仕事の)裏側を見ているかのようなものになる。

 

しかし自画像ばかり描く画家もたくさんいるのだ。それは仕事と自分との距離感の問題だろうか。彼らは最初から仕事をする自分を、心のどこかで、何か不思議な、滑稽で信用ならない虚構的存在に感じているのだろうか。

 

昨日の坂本繁二郎展に展示されていた「自画像」は、とても不思議な感触をたたえていた。隣に掛かっていた母親の肖像は、絵画としても作品としても「完了」しており、それは坂本繁二郎の仕事の範疇にきちんと収まるものに感じられたのだが、自画像そのものは、そうではないように思った。