ヘプバーン・マティーニ

この季節だからとくにそうなのだけれど、マティーニが美味しい。ベルモットとジンを氷に入れて適当に混ぜて作ったいいかげんなもので、そのまま他人に勧める気はないけれども、少なくとも自分だけはそれで美味しい。マティーニなんてバーで飲むから美味いんだろうと思っていたけど、結局どんな酒だろうが自室でゆっくり飲んでいるのが一番美味いのかもしれない。いや、美味いとか不味いとかの味覚の話ではなく、それを飲みながら何となく過ごすあるひとまとまりの時間を、快適なのだと言った方がよいのかもしれない。

就寝一時間前くらいからの、開けた窓から夜の外のかすかな音が聴こえてくるのを聞きながら、少し冷えた風が入ってきて身体にあたるのを黙って感じ続けている時間が、なかなか悪くないというだけのことかもしれない。

あと一時間したら眠ろう。窓を開けると、夜の早い時間だと、わりと隣とか近くの家のテレビの音なんかが聴こえてくることもあるけど、さすがにこんな遅くだと外は静かだ。まだ肌寒いとは言えないけれどもやや冷たくなった風が窓から入ってきて、蒸し暑さと夜の涼しさがまだら状になっている。これって夏の終わりの、今だけのやつだな。

夜の開けた窓からかすかに聴こえてくる音。そろそろ就寝する一時間前の自室。焚いた線香の先から身をくねらせて昇る煙。窓から入ってきて身体の半分を冷やす風。ベルモットとジンを氷に入れて適当に混ぜたやつの、冷えたグラスに付く細かい水滴。

ビリー・ワイルダーオードリー・ヘプバーンについて語る。「この娘は、女性の胸のふくらみを過去のものにしてしまうでしょう」

新しい女性のイメージ、それは女性=少女で、常に永遠に少女であるということ、ただし少女そのものではなく、常に永遠に女性を目指す、完成した女性に憧れ続ける存在であるということ。

あるひとまとまりの、どうしようもなさのなかに留まることが、必ずしも嫌ではない、自分を甘く許してしまって、見放してしまって、あなたはきっと、私のことを忘れる、私はあなたの記憶から消える、私はそれを知って、それをみとめる、あきらめの中に、今日の私はこうしてじっとしている、お願いだから、もう少しだけこのまま一人にさせてほしい。

毎晩作ってるマティーニが美味しい。少なくとも自分だけはそれでいい。早くそれを準備したくて、夕食を早々に切り上げたくなる。マティーニなんてバーで飲むから美味いんだろうと思っていたけど、結局どんな酒だろうが、自室でゆっくり飲んでいるのが一番美味いのかもしれない。

"戦争と平和"ではじめて舞踏会に参加したロシア貴族の娘を演じた彼女のセリフ。「私、退屈そうに見える?」「どうして?」「だって、退屈そうな顔をしてたら、誰も私が初めてだとは思わないでしょう?」世間知らずの子供だと思われないように毅然と振舞う、そのためにギュッと緊張して、真剣なまなざしで周囲を見張ってる。高揚は抑えて、でもあくまでも場慣れした女の態度で、余裕を見せて、そんな自分の宙吊り状態を懸命に支えている。

彼女はこのあと、どれだけ経験を重ね年齢を重ねても、常に永遠にこのひたむきな「女(になろうとする女)」を続けた。きゅっと小さな口元を結んで、大きな目を動かしている。あの可憐な姿に惹かれない男はただのバカだ。

いや、美味いとか不味いとかの味覚の話ではなく、それを飲みながら何となく過ごすあるひとまとまりの時間が、なかなか悪くないというだけのことかもしれない。


(オードリー・ヘプバーンについては橋本治「虹のヲルゴオル」を参考にしました。)