アビイ・ロード

ビートルズの"アビイ・ロード"が、最近リマスタリングされたらしい。"アビイ・ロード"をはじめて聴いたのは中学生のときだ。

悲しみは、"アビイ・ロード"である。
音楽に、始めがあって終わりがあるということの、どうしようもなさ。

このアルバムがジャンルとしてのロック・ミュージックの原基になり、自分の内側に最初からはたらいてしまったと思う。僕にとってそれはジミ・ヘンドリクスの衝撃よりも先にあった。

"アビイ・ロード"のジャケットのアートワークは、どれだけ見ていても見飽きないものがある。四人の服装と、並び順が、まさにこれでなければいけない、これ以外のパターンは考えられないと思わせる。上下白スーツで先頭を行くジョン・レノンは、もうすでに後ろのことを一切考えてないようだし、二番目のリンゴ・スターはとてもカッコいい丈長スーツでもっともこの場にふさわしくも見える。着崩れたスーツに裸足のポール・マッカートニー疲労と倦怠を感じさせ、ブルーデニムのジョージ・ハリソンは心もち別の方角に視線を向け、やはり前にいるメンバーのことではなくすでに別のことを考えているようにも見える。

彼らの今までとこれから、その物語を"アビイ・ロード"はどうしても意識させる。音楽は多様さが渾然となってすさまじい奇蹟を放出しているのだが、それが時間軸に沿って生きるしかない人間の枠とどうしてもそぐわないようにも思えてしまって、しかしだからこそ、この音楽がかけがえないものとして聴こえてくる。

"アビイ・ロード"は「信じられないようなことが起きてしまった」という、愕然とした気持ち、まったく新たな地平に至った高揚と、二度と元には戻れない喪失感との混交であり、一度限りの特別な一瞬だ。にも関わらず、それは録音されたもので、いつでも再生可能なのだ。このことの不思議さ。