岸田劉生展

飛行機利用を検討していた金沢旅行だが、値段高過ぎなのでやむなく全てキャンセルとし、行先再々検討の段階へ差し戻した。それなら我々は、一体どこへ行けば良いのだろうか、よくあること(旅行あるある)だが、そもそも何のために行くのか、行って何をしたいのか、もはや目的をほぼ見失いそうになりつつ、盲者のように両腕を虚空に伸ばしながら新たな行き先をさがしもとめている。

とりいそぎ終了間際の東京ステーションギャラリー岸田劉生展へ。初期作品群をみると、当時の様々な様式や形式を試しながら、きちんと作品に仕上げる力が安定していて、最初から実に巧みな描き手だったということがよくわかった。花を見て花の絵を描くのではなく、花の絵を見て花の絵を描くタイプの典型的な画家ではないだろうかと思った。やがて主なテーマが自画像、肖像に絞り込まれていくが、狭まった肩幅に扁形の鏡に映したかのような縦に引き延ばしたような誇張されたフォルムをもつ頭部が画面を大きく占める、その様式性が強く出てくる以前のまだ北欧ルネサンス系の影響が出てない時代の、絵の具の扱いに活気というか躍動感のある作品についてはどれもたいへん良いものに感じられた(やや予想外なほど良かった)が、その後はおおむね厳しい印象に感じてしまった。絵の具の躍動が消えてしまって、北欧ルネサンス風というよりも異様に薄っぺらくギラついたペンキ絵といった感じになってくる。麗子シリーズもいくつかを除いてはイマイチか(今回展示されてないだけで、麗子シリーズにはもっと良い作品もある気がする)。ただどの作品にも独自性は強烈にあると思う。こんな画家、世界中探してもあまりいないと思う。そういう強さは感じられる。別のいつかどこかの何かと深いところで響きあおうとするよりも、自閉の精度を研ぎ澄ましていこうとするかのような強さのようにも思うのだが。