匂い

ふと匂いに気付いた。いつ、どこでだったのかは忘れた。それがどんな匂いだったのかも、もう忘れた。それに気付いた、ということだけはおぼえている。小学校一年のときに、友達と入り浸っていた駄菓子屋兼ゲームセンターの椅子の匂いだった。椅子なのか、熱を放つゲームマシンの筐体から漂う匂いなのかはわからないが、その店の椅子に座ると、いつもあの匂いがした。

昨日、どこでその匂いを嗅いだのだったか…。いったい何の匂いだったのか。

明け方、目が覚めて、時計を見たら五時過ぎだった。そのまましばらく横になったままでいて、このまま眠れずに、朝になりそうだと思った。アラームが鳴るまでは眠りたかったが、それよりもさっきまで見ていた、なつかしい夢の中へもう一度戻りたいという気持ちが強かった。匂いが、夢だったというわけではない。匂いは現実だったはず。たぶん見ていた夢は、壁紙だった。汚れた壁紙が、目の前にあった。それ以外のことを、まるでおぼえていない。にもかかわらず、目覚めてしまうとそれがなつかしくて、再び眠りの中へ戻れないことがかなしくなる。

そのあと通勤電車で、座席に座って文庫本を開いていたら、しだいに眠くなり、居眠りをはじめた。本の続きを読んでいるつもりが、また曖昧な夢を見ていた。手元から本が落ちそうになったことに気付いて、それでハッとして目覚めた。抑えていた指がページの端から外れて表紙だけが引っ掛かっていた。書名が記載された次のページをじっと見ているような状態で眠っていたのだった。そのとき僕は、細かいスナック菓子がたくさん入ってる袋を不用意に傾けてしまい、中身がその場にぜんぶこぼれ落ちてしまう夢を見ていた。