めぞん一刻

高橋留美子めぞん一刻」全15冊をヤフオクで落札して久々に再読。我ながらマンガ読むスピードがじつに遅くてまだ二巻の途中。

僕がこれをはじめて読んだのはいつだったのか?たぶんリアルタイムではなくて、高校生(80年代後半)あたりで読んだのではないか。
二巻の途中、大学に合格した五代が、アルバイトで自転車の荷台に大きな氷を乗せて配達するシーンが出てくる。八十年代前半ってそんな、町の中を氷屋さんが走ってるような時代だったのか…。

そもそも一刻館という住環境が、日本の戦後の長屋時代から延々続いてきた庶民の集合住宅の幻影という感じだが、それでも住民や周辺の人々が醸し出している雰囲気はすでに家父長制以降というか核家族世代以降の感もあり、時代的な古めかしさをあまり感じない。いや男女の恋愛観は古風だし昔っぽいのだけど、それだけではない。おそらくこのチグハグさは狙ったものではなくて、現実の80年代初頭が、本当にこんな感じと言えばこんな感じだったのかも…という気がする。

八十年代なら、世界のすべてが八十年代的なものになるわけでは当然なくてそれ以前のものと混在する。新しいものと古いものが混在するのはいつの時代もそうだろうが、たとえばここ十年での直近の新しさと古さを思い浮かべてみても大して変わらないように感じるというか、全体的にのっぺりしている感じに思うのは、それを考えている今ここが、今だからに過ぎないのか。

80年代初頭における新しさと古さの混在は、古さの方がより一層濃くて新しさを簡単に喰ってしまいそうな力があったように思われるのだが、だからこそ新しさの光り方もひときわ強烈だった気もする。つまり上手く混ざり合ってなくて、その落差が今よりぜんぜん鮮明だったような気がする。それこそが時代っぽさなのかもしれないが、年月が経てば経つほど、全体の印象が淡く消えていって、落差の濃い線くらいしか判別できなくなってくるからそう思うのかもしれない。