演技

俳優二人の不倫に関する報道がネットのニュースに出ていた。想像だけど、恋愛映画を演じる俳優二人が、演技のために、ことに実績ある方があまり無い方にアドバイスしたりしながら、お互いの役割のイメージをよりリアルになるよう高め合う、そういうトレーニングをするのだとしたら、それはほとんど、精神分析における医者と患者とのセッションみたいなものにならないのだろうか。だとしたら「転移」は起きるだろうし、起きないことの方が稀ではないか。「わかってる」役者は、あたかもすぐれた分析医のように、そういうことを、はじめからちゃんとわかってるということなのだろうか。そうではなくて「演技」というのは、そういう事とは別の論理によって構築された、システマティックなもの(それが可能な技術)なのだろうか。そのような素振りを見せても、本当はそうではない、ということが演技なのか、だとしたら演技とされてはいるが実際は演技ではないことも多いのだろうか、それとも本当かどうかはとりあえずどうでもよくて、何しろそのように見えることこそが演技なのか。(演技が下手とは、何が下手だということなのか。)

私は絵を描けないから描ける人を尊敬するだとか、一輪車に乗れるなんて嘘みたい私なら絶対無理だとか、それと同じレベルで、自分は「演技」なんて想像もつかない、演技できる人は凄いと思うし、ことあるごとそれを不可解な謎に思う。