ドリーマーズ

昨日の深夜だけどPrime Videoでベルトルッチ「ドリーマーズ」を観る。パリ、1968年、五月革命シネマテークのラングロワ更迭、学生たちが激しいデモと小競り合いを繰り返している混乱状況のさなか、シネフィルのアメリカ人留学生である主人公マシューが、同様にシネフィルなフランス人の一卵性双子の姉弟テオ、イザベルと知り合い、彼らの家で奔放な性交渉を含むひとときの共同生活を過ごす。

ゴダール「はなればなれに」の三人、あるいは「女は女である」の三人、あるいはトリュフォー突然炎のごとく」の三人。…「ドリーマーズ」の三人は、それら過去にかがやく栄光の三人組の系譜に連なっているかのような、そんな相似形に自覚的で、だからルーブル美術館を全力疾走で駆け抜けるトライアルも試してみるのだが、しかし彼らは結局、それら過去の登場人物たちのようにあることはできない。

観てみたら、そんな淫靡でエロでアンモラルというわけでもなくて、けっこう素朴な若者たちが登場人物なのだった。シネフィルたちは過去の映画をたくさん観てよく記憶している。その仕草はあの映画のあの場面だとか、その踊りはあの役者のステップだとか、過去をあらかた知っているかのようで、だから白けているし、すれっからしで、大抵の物事にタカを括っていて、善悪も好悪も一言でこたえる。キートンチャップリン、ジミヘンとクラプトン、どちらが優れているかを声高にかたり合う。彼らはまだ二十歳そこそこの学生に過ぎず、外の世界にこれから漕ぎ出していく人間であって、無知な世間知らずであり、見るべきものや体験すべきことは未だほとんどがこれからの状態である人たちだ。革命闘争、マオイズム、父親への反駁と生活全般への依存という矛盾、ベトナム戦争、政治、混沌とする世界情勢…に関して、だから彼らの議論は意外に生硬だし単純で、そのくせ脊髄反射のスピードで熱い感情がほとばしる。

姉と弟でもなく、恋人でもない、二人で一つであるという固有な絆を共有するテオとイザベルは、夜は裸身で抱き合いながら眠り、弟のテオは映画クイズに負けた罰として姉の目の前でマレーネ・ディードリヒの写真を見ながらのマスターベーションを強要されたりする(「嘆きの天使」のスチールを見ながらって…なんと様式美な自慰行為であろうか)。そんな閉鎖系の世界に生きてきた二人が、自らの関係の活性化のため、あるいは新たな経験を取り入れるために、アメリカ人のマシューを自分らの世界に招き入れたのだろうか。イザベルはそこでマシューを相手にはじめての性交渉を経験し、マシューはイザベルに対して感情を揺さぶられ、以後毎日のように関係をもつ、奔放で無計画な、けじめなき三人の関係が絡み合いはするのだが、実のところその中心に始めからイザベルとマシューとのまっとうでありきたりな男女の時間が流れていて、少なくともマシューは"まとも"な社会感覚をしっかりと下地にもつ人で、それが恋人を発見したことで外部へコミットする意欲が芽生え顕在化し、テオとイザベルは事態を受容しつつかつての自分らの絆も確かめ合うことになり、寄る辺なき未知への手探りを続けるかのようだ。マシューの誘いに応じてイザベルはマシューとデートに出かける。映画館に入り、シネフィルとしてかつてのように最前列の席に座ることはせず、最後尾に二人並んで座る。外でデートする恋愛中の若い男女であることを確かめ合うかのように。(映画はスクリーンから放出されてまず最前列の観客を襲い、それがじょじょに減衰しながら後方の客席にまで順次届いて、やがて映写室へ戻っていく…という冒頭のナレーション、社会性をもち恋人をもつということは、映画が放つ光の法則にしたがうことを最優先とせず、後方の座席で相手とくつろぎ抱き合うのを選ぶことである。)(それにしてもミュージカル映画を観る観客たちが暗がりの中、音楽にあわせてゆっくりと頭を揺らし、上半身を揺り動かしている館内のシーンはうつくしい。当時の客はほんとうに、あんな風に映画を観ていたのだろうか。もしかして今でもそうなのか。日本人だけが映画館で身じろぎもせずに笑いも堪えるかのように静かなのだろうか。)

終盤「外」がいきなり窓から部屋へ入り込んでくる。「混乱」が彼らを、死から救い出す。しかし関係がここでほどかれ、火炎瓶の炎が上がり、警察が路上を走り、映画が終わる。

それにしても若い三人の身体が、素晴らしく美しくて瑞々しくて、…うわあ、ハダカがみんなキレイだわーという感じ。匂い立つエロさと、それに貼り付いてる薄ら寒さ、埃っぽさまで感じられるような、その肌の表面をじーっと見ているだけみたいな感じ。

三人共に、高級ワインをやたらとラッパ飲みするのだが、あんな風に飲んでもぜんぜん美味しくないだろうなあ。でも、若者があんな風に高級ワインをガブガブと飲む小説や映画は、けっこうある気がする。むしろ、実際はそんなものなのだろうな。勿体ぶって有難がってるのは貧乏人だけか。