backbeat

スペースシャワーTVで放映された、フィッシュマンズの1997年12月のライブを観る。はじめて観る映像だった。けっこう新鮮な選曲やアレンジも聴けて面白かった。ここから一年を経て、「男たちの別れ」に見られる暗黒の沈鬱さを経て、やがてフィッシュマンズの三人は袂を分かつことになるが、この時期はまだ元気いっぱいで佐藤伸治の表情も明るい。

 

それにしても、ここまで内省的で内向きな世界を表現するのにレゲエのリズムが採用されたというのが、まさに九十年代ということだなと思った。もちろんフィッシュマンズの音楽の形式を、あれはダブであるとかトリップホップであるとか言っても何も説明したことにはならない、それは重々承知だが、しかし彼らの音楽の質を支えているのが、耳に聴こえてくるあのリズムであのグルーブの感じであるという、そのこともまた動かしがたい事実であるのは間違いない。彼らの作り出した世界は独自だが、しかし彼らがすべてをゼロから築き上げたわけでは勿論なく、そのもう少し前から続いていた当時の音楽シーンが醸成させつつあったリズムの熱、共有されたある手触りの記憶、そこへ個々に惹きつけられていた人々の心、それらを含めた大きな磁場が、フィッシュマンズをあのようなかたちに作りだした、映像を観ながら、そのことを実感できた気がした。それはもしかすると二月に亡くなったアンディ・ウェザウォールを再びどこかで思い出したからかもしれない、あれこそまさに、九十年代の基礎だったじゃないか。あの反復こそが基調だった。おそらくフィッシュマンズでさえその枠内にいると。とはいえアンディ・ウェザウォールだけが唯一の原点だったというわけではなく、その周囲にもやはり彼やその他の人々を取り巻く磁場があった。誰かと誰かの手によって、試され、交換され、譲り渡され、継続しながら、少しずつ形を変えていくものがあって、今聴こえているこれもその一つ、そういうことを感じた。それはもしかすると僕が今回、あのフィッシュマンズからさえ感じさせられてしまった、特定の時代っぽさというか、過去の匂い、それがついにはじめて意識されたのだと、そんな風に言い替えることもできるのかもしれない。そういうことを感じられるくらいの距離感で見ることが出来るようになってしまった(視力低下によってその距離感からしかピントが合わなくなってしまった?)ということかもしれない。