二本立て

地上波で放送された大林宣彦時をかける少女」(1983年)を観る。深町くんの祖父母である上原健と入江たか子は物語の最後の方に少しだけ出てくるくらいだと記憶していたけど、いざ観なおすと思ってたよりもずいぶんたくさん出番も台詞もあるのだった。また原田知世の家族も尾美としのりが家業として継ごうとする醤油屋も、ともに家庭環境はしっかり描かれていることや、ラベンダーの香りに醤油の匂いを対比させるとか、原田知世の自室にある日本人形や時計屋主人、出血の痛みとか、思わず目を背けたいような怖い感じなど、大林作品においてこういうテイストは昔から明確にあったんだなあとか、そんなところが印象に残った。映画の途中でCMが入ると昔のテレビ映画劇場っぽくてなつかしい。

その後DVDで石井裕也映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017年)を観る。タイトルで"何かありそう"な期待感をもたせる気もするし、質感、空気感、テンポ感はそんなに嫌ではないのだが、しかし自分にはあまり面白いと思えず…。作品全体に視野狭窄的な被害妄想的気分が薄っすらとたちこめているようで、いや登場人物たちの鬱屈にはそれぞれ原因というか色々とあるのだが、むしろそれゆえに"最高密度"のレベルにまでは突き抜けないというか、いろいろダメですよね、たしかにそうですね、という感じだ。路上ミュージシャンに関する最後のエピソードも、希望的兆候と言えばそうかもしれないが、これで二人とも軽く微笑できちゃうのか…とやや不思議に感じた。