花筐/HANAGATAMI

日本映画専門チャンネルで放送された大林宣彦「花筐/HANAGATAMI」(2017年)を観る。学生たちが教室で授業を受ける冒頭の場面から、強烈な禍々しさというか、嫌な歪みの感覚、只ならぬ時空が蔓延しているようでやや慄く。奇怪…と言うしかない感じ。ある特定の様式・趣味的マニエリズムにすっぽりハマりそうで、こういう世界観が好みだとか興味ないとか、そういうことが言えそうな気がするのだが、それが出来ない。しかしワザと意図的に歪ませているわけでもない、奇をてらっているわけでもない、一つ一つの場面はとても丁寧でわかりやすく、人を煙に巻くようなところなどまったくない。しかし全体として、これを静的な映画作品として冷静に把握するのは難しい。まさに他人の頭の中のヤバさに直接触れたような迫力。ヤバい人の脳内ということでなくて、人の脳内は誰でもこのくらいはヤバいのだと思わせるような、それを直に突き付けられたような感じだ。こういう映画を撮影して、それを何か月もかけてこのようなかたちに編集するということの途方も無さ、ほとんど非人間的な不気味さを思う。

なお就寝後、夜中に何度か目が覚めて、そのたびにさっき観ていた様々なイメージが頭に思い浮んでは消えて、目を開けても閉じても同じ暗闇のなかで悪循環にハマる。とくに窪塚俊介の、完全に正気を失ったかのようなあの表情がやたらと浮かんでは消え、心から当惑した。ほとんど覚醒しながら悪夢にうなされている状態に近いと思いながら、寝苦しく浅い眠りの手前をひたすら行き来していた。