赤出汁とマスク

赤出汁の味噌を買って以来、ほぼ毎晩、味噌汁を作っている。食した残りは明朝に再び食す。赤出汁の味噌汁はじつに美味しい。覚醒的と言いたいほどの塩気と酸味と味噌の風味。塩分的にはけして好ましくないのでは…とも思うが、それでもできれば、一日に一杯はいただきたいと思っている。

マスクした顔を突き合わせて喋っていると、相手が女性の場合、どうしても目元周りを異常に見てしまう。顔の下半分を巨大なマスクに覆っている顔を真正面から見ていると、表情が醸し出す意味作用がぎゅっと窄められた細い口から濃くなって湧き出すかのようで、それが嫌でも、見たくなくても、避けがたく目に入ってくる。眼だけのクローズアップだけと、喋ってるみたいな感じになる。声やモノの云い方や雰囲気があらわすものと、目があらわすものは、別にまるでシンクロしなくても成り立つようにできている。どれだけ楽しそうであろうが、はしゃいだ声を出していようが、目がまるでそうじゃない表情をたたえていることは、珍しくない。それは外見と裏腹な内心をあらわしてるとか、そういうレベルですらなくて、ふつうに外見と思っているものがじつは外見ではない、自分はふだん外見すらきちんと見ることが出来てない、そんな基本的なことすら把握してないのだと、マスクをした顔の二つの目を見ていることでわかる。目元には年齢に応じて皺ができて、それがその人の実年齢を感じさせるなどと言ったりもするし、それはたしかにそうだが、それ以上にその人の見てきたもの、見ているものの過不足ないありようをそこに見出すことのできるしるしだ。むしろ年齢を問わず、避けがたく見えてしまうものをその目が見ている、その事実が目元にあらわれている。