わさび

生わさびは高いのでめったに買わないが、先日スーパーで半額になっていたので買った。わさびは専用の鮫肌おろしで擂る。ふつうのおろし金では、おろされたわさびの粒子が大きすぎて、辛さが全然引き立たないのだ。しかし鮫肌おろしを使えばいつも美味しいわさびを味わえるというわけでもなくて、わさびにも、当然ながら当たり外れがあって、ものによっては、食してみても、あら?と思うほどまるで味気のない、気の抜けたような、何の意味もないみたいなときもある。それでもかすかな特有の香りは、あるといえばあるので、ないよりはマシかもしれないが、まあそういうときは、外れに甘んじるしかない。で、わりとはずれを引く確率が高めなのも生わさびという食材の特徴のように、自分には思える。たぶん擂る技術力の不足も、あるのかもしれない。むかしある店で、茶わんいっぱいに入ったわさびの香りを嗅がせてもらったことがある。最初、ほとんど香りを感じなかったのだが、店主がそれを少しかき混ぜて再び手渡すので、それをもう一度鼻に近づけるや否や、後頭部にまで突き抜けるかのような刺激を食らって呻いたことがある。あんなふうに辛みをコントロールできるものなのか。

そもそも自分はとくに最近になって、スーパーで買う魚については、わさびで食すよりも生姜で食す種類の魚のほうを、ことのほか好む。つまりイワシ、アジ、カツオを好む。ほとんどそればかり食すと言っても過言ではない。ふだんはこれらの魚を、摺り下ろした生姜と細かく切った葱と共に醤油で食していれば、ほぼ満足するような人間なので、前述のように生さわびを買ってしまうと、ではわさびに合う魚を買わなければとなって、そのときにきまっていつも、はたと売り場の前で立ち尽くしてしまう。どの魚にも、さほど食指がうごかないことに気付く。冬のうちなら、まだブリが美味しそうだったけど、今なら何だろうか、しかし何にせよ…、と思う。鮨屋とか居酒屋できちんと仕入れて調理されるものではなく、ふつうのスーパーが取り扱う魚を買うときに、当たり外れ、いや厳密にいえば当たりはほぼないだろうが、しかし大きく外れなければまあ良しみたいな、そういう狙いで、かつ元々自分が好きなものと思って、しかしわさびを使うとなると…と悩んだあげく、ほとんどの場合は、タイを買うことになる。こういうことを何十年もくりかえしているけど、先日読んだ三浦哲哉の本にならって、もう少しばかり食スキルを向上させるために、自分も前向きな気持ちをもって、つまり美味しく魚を食べるための工夫をしたいとは思うのだが。

わさびにせよ生姜にせよ大根にせよ、摺りおろしたものは美味しい。ネギやミョウガなど刻んだものも美味しい。それだけはたしかだ。自分の場合ワサビはまあ、チューブ入りの手軽なやつでもかまわないかと思うのだが、チューブに入った生姜の味は僕は苦手で、生姜だけはきちんと擂ったものがいい。