THE COCKPIT

日本映画専門チャンネルで、三宅唱「THE COCKPIT」(2014年)を観る。薄暗いアパートの一室、手前にサンプラーターンテーブルがあって、それらを操作しているOMSBを正面からとらえた固定のカメラ。次々とレコードがサンプリングされて、パッドを指で叩く動作が何度も何度も繰り返されて、そのたびにひと連なりのフレーズが生じる、それがまさに何度も何度も、全部手でやっているのだが、それがループして流れてることを想像しながら、それが良いのかそうでもないのか、聴いて想像して、周囲と一言二言交わして、判断できるところまでもっていきたい、そんな作業がひたすら続く。音楽を作る現場そのもの、味も素っ気もない、まさにそのまま切り取られた不愛想な映像、それは意味不明で退屈な時間でもあるし、快楽的で麻薬的で催眠的な時間にも感じられるかもしれない。たぶん人間がふつうに生活しているときの気を緩めて休んでいるときの時間ではなくて、その逆だ。リラックスしてはいるし、ダラダラまったりしてはいるが、これは仕事だ。仕事をしている人間が集まっているそのときの時間だ。

何かが、まだ出来上がる前の、ピックアップされるか捨てられるのか決まってない断片ばかりがあらわれては消える、その繰り返しが続く。ものを作ったことがある人なら誰でも知っている時間だ。彼らは今ここに居るが、居ないも同然だ。彼らの頭の中には、聴こえている音楽がもたらすかもしれないもの、あるいはダメかもしれないもののことが渦巻いている。たぶんそれを、作らなければいけないという制約の中に縛られてもいる、音楽の気持ちよさを感じる人間のようにそれを聴いて、それを楽しむ誰かを擬態しながら、作り手として適切にふるまい、適切な仕事をしなければいけない。もうすぐ出来上がりそうな予感とリスクの兼ね合いの線を歩くイメージ、早く楽になりたいとか、仕上げてしまいたいとか、しかし品質とか、納得いく仕上がりとか、そういう頭を駆け巡るものがあるのかないのか、そういうことはこの映画に、べつに映っているわけではない。ふつうにバックトラックを作って、ふつうにレコーディングして、曲が出来る。しかしそんなスムーズな流れが映っているわけでもない。…それが何であれ、仕事とは、作ってる時間というのは、こういうものだと思う。

レコーディングのとき、OMSBもBimもA4の紙に手書きした字を見ながらラップする。手書きなのか…と思った。ラッパーは、やはり手書きなのか、と。手書きという行為について、自分も考えるべきではなかろうかと(OMSBより僕の方が字がヘタだと思った)。

じつは去年のいつだったか忘れたが、この映画は一度観ている。そのときはどうとらえて良いのかがわからなかった。今回も印象は変わらなかったけど、しかし面白かった。最後なんか、とてもいい感じ。またいつか観たい。