小さな会社

表通りと並行する細い道を歩きながら、いくつか並んでいる店の裏口をのぞきこむ。表も裏もないような小さなバーでは、カウンターを挟んで客と従業員が向かい合っているのを、まるで断面図のように眺めることができたりする。従業員の女がこちらを見て、何か誘うような表情をした気がするがそちらには目線を合わせずに歩き去る。やがて横断歩道の前に来る。信号が青に変わるまでのあいだ、通りの向こうに建っている雑居ビルの窓灯りを見上げている。そのとき、ふっと灯りが消える。あの窓は給湯室だ。人が居なくなると、勝手に電気が消えるようになっている。こんな時間にも、まだ誰か働いている、あのフロアではそれがふつうだ。こんな雑居ビルに入った、小さな会社に勤めている人も世の中にはいる。もともと小さな組織で働く方が良いと思ってたのが、まさに思った通りになった、思った通りの年月を過ごしたことに、いまさらのように気付いた。そのことに満足も不満もない。若い頃の考えは浅はかだとも思うし、もの足りないほど妥当な判断ばかりするようにも思える。でもいずれにせよ、思惑通りの未来はない。それはたしかだ。見れば見るほど、小さくて頼りない、よく建っているなあと思うような雑居ビルだ。あの箱の中に入るくらいの、小さな会社だ。

勤めるなら小さな会社がいいという言葉を、誰かが口にするのをこれまで何度か聞いた。多くは就職活動中の学生の言葉だった。そう口にするのが女性ばかりだったのはなぜだろうか。僕もかつてはそう思っていた、でも学生たちには賛同しなかった。大きな会社も小さな会社も、どちらも志望した方が良いのではないか、それぞれの良し悪しがあるだろうから、それを踏まえて納得いく選択をしたらどうだろうかと。それで納得したのかしなかったのかは知らないが、結果的に、あの小さな会社を選んだ人もいた。もうずいぶん前のことだ。その女性もとっくに退職して、すでに名前さえ思い出せない。さまざまな人があらわれては去る。あの小さな会社はしかし今もまだ、あの小さな雑居ビルの中にあるのか。そう感じたことはこれまで無かった。あんなに小さなビルだったとは。