再運動

三か月ぶりに水泳した。館内は予想より空いていて、それなりに快適だった。とはいえ三か月のブランクを経て、結果は予想通り相当な疲労をおぼえた。しかし運動した直後の疲労感は、それが相当にキツイものだったとしても、気持ちが折れてガックリとか、精神的にくたくたとか、歩くのもしんどくてため息ばかり出るとか、そのたぐいの疲労感とは根本的に違う。運動した直後の疲労感は、単純に快楽的。だからこそ死ぬほど面倒くさくても、また運動する気になる。そのことも思い出した。

運動直後の疲労を感じているとき、それを感じているのが頭でなくて身体だと明確にわかる。むしろ頭は活性化している。自分と別個に存在する身体の疲労感を、客観的に、高解像度で感じ取れることが楽しいとさえ思っている。疲れているのはたしかだが、そうでありながら帰宅の途中でも、階段を早足で上がったり歩く速度を早めたり、負荷に逆らって身体を律することが、けして嫌ではないという感覚。身体疲労が、脳にあまり苦痛を伝えてこず、残りの燃料を使い切りたいと望んでいるかのように、指示の継続を無言で許容している感じ。その心身の役割が分離されて、お互いの距離感覚とその間に漂う外気の新鮮な風を含めて認識している感じ、思い込んでいた自分の責任が再生成・減算されて楽になり、役割ごとに自由でばらばらに作動しているのを見てるだけでいい、そんな感じこそがドーパミンの効果なのか。