利益

たとえば、なにか商売することを考えたとして、自分なりに思い浮かべたイメージで、もしかして上手く行くかも…と思えるタイプもいるだろうし、何を思い浮かべようが、上手く行くだなんて夢にも思えないというタイプもいるだろうけど、僕は完全に後者だ。料理人にとっての包丁とか、球技の選手にとってのボールとか、音楽家にとっての楽器とかと同じように、商売の上手な人はお金を道具として使いきれる、お金というものの性質・性格を知ってるということなのだろうか。商売のセンスが無いというのは、それらを知らないというよりも、それらから見放されているということかもしれない。

むかしアルバイトしてた店で、ここが一日あたり幾らの売上を上げないとダメか(採算分岐点か)を店主から聞いて、えー?そんなにですか?と、驚いたことがある。売上から、仕入れと経費と固定費を引いたらそれが利益だが、その金額を聞いて、ふつうに考えて絶対無理でしょ、と思ったものだ。でもその店はずっと営業を続けているのだから、べつに無理ではなくて、僕の感覚の方がズレていたのだ。だって、人間が労働して稼いだ金のうち、勝手に使って遊んだり貯金したりしても良いのは「利益」だけでしょ?だったら利益が、予想を大きく超えることがよくあります、みたいなことでもなければ、ひたすら辛いだけの毎日ではないかと。ずっと商売の枠内に閉じ込められたままではないか、と悲観的に思った。

だったら、そんな跳びぬけた利益が上がるような商売を考えれば良いではないか…とか、そんなことを言われても困るので、当時の僕がいまさらのごとく驚いたのは、この世の商売というものはそんなレベルのものなのか、ということだ。子供のお店屋さんごっこみたいに誰もが気軽に始められるわけではなくて、限られた一部の人にしか上手くいかないような、それ以外はそれこそ血と汗と泥みたいな、まるで洗練されているとはいいがたい行為でしかないのかと。さすがにもう世の中も90年代を迎えたわけだし、大体一時間くらいの労働で一か月くらいふつうに生活できるくらいの生産性が、社会全体ですでに実現されていても良いのでは?と思ったのだけど、しかしまるでそうじゃないと、そのときはじめて知った。まったく途方に暮れる話だ、金に苦労しないと生きてはいかれない、ということが、ようやくわかりかけてきた。