明るさ

高田馬場のAlt_Mediumでqp個展「明るさ」を観る。高田馬場駅から少し歩いたところにあるギャラリーは、自然光のよく入る白壁のきれいな空間。手のひらに乗るくらいなサイズの、ほぼ正方形の紙に水彩の作品群が、すこし壁から浮かんだように展示されている。作品サイズと展示(並び、間隔、諸関係)の好ましさ、作品裏に生じてる隙間と、壁に薄く落ちる影、水彩絵の具の浸み込んだ、まるでしっくいの壁みたいな超極小粒子状の紙の表面の質感、乾燥によって残り方が違ってる顔料の跡、それらが呼び込んでくるイメージ、手描きなのか自然現象かが俄かには判別しがたい、精緻だけど筆致の匂いのほぼしない、しかし無機的なわけでもない、植物のような、微生物のような、水分の動く痕跡のような、ふしぎなかたち、その集積とくりかえし、とても趣味の良い、上品で、そして止め処なく広がり膨らむような色彩が美しくて、いつまでも観終わることがない。その美しさにどこまでも耽溺するための作品であり、そのための空間であるかのようだ。

壁の手前から奥、そして再び手前への流れが、制作時期の流れにある程度沿っているそうだ。その変容の面白さ。その都度返ってくる手触りの違いのなかに、作品そのものが自らの許容量を推しはかろうとしているみたいでもある。ふとパウル・クレーを思い出したりもする。作品の外見が似ているとことではなく、作品から感じさせる、作品自らが自分の中につつましく閉じようとするかのような、その内省っぽさの印象が似ているように個人的には感じたと、そう言った方が近い。

どの絵がいちばんお好きですか?とご本人から聞かれて、それは、、、とても難しい質問ですね…と、まずは応えるしかなかった。見れば見るほど目移りするというか、あれにもこれにも惹かれて、自分が観たいと思ってるものの移ろいやすさを感じて、ゆえにこれがいちばん好きだと、どれを指しても、後でそうじゃなかったと思えてしまうだろうと。しかしその場で、あれもいいこれもいいと言ってたら、けっこう長々と話が終わらなくなってしまった。