ウズベキスタン・台北・イギリス

黒沢清「旅のおわり世界のはじまり」(2019年)をDVDで観る。ウズベキスタンでのオールロケ作品とは予想外で驚いた。主人公はスタッフとともに海外を取材中のテレビレポーターで、けっこう内向的で非社交的な感じ、周りのスタッフもわりと冷たくて他人に無関心で、明るさも楽しさもマスコミ的キャリア的華やかさも無くて、海外生活の孤独と不安を彼女一人で背負ってる感じ。ふと一人で思い立つようにバスを乗り継いで彼女はウズベキスタンの町を彷徨う。目的も意図もはっきりしないまま彷徨った先で、彼女は何かを見つけて、それが仕事のきっかけになったり、彼女の思いをある種のかたちに繋ぐきっかけになったりもするのだが、それが素敵で晴れやかな展開になるのではなくて、むしろ厄介事につながったりもして、後半で警察のお世話になるあたりの、ほとんど社会性欠落に近いような行動の成り行きとか、最後は日本にも色々災いが生じてそれに取り乱したりとか、色々と終始イマイチなのだが、そんなことで悩み苦しむ主人公の彼女の内側の問題とか妄想から歌唱シーンへ展開するとか、かなり前田敦子扮する主人公の個人性を尊重した作品になっていて、ウズベキスタンの風景は力強く魅力的だがそれはあくまでもそういう背景としてだけある感じだ。前田敦子という人は歌もそつなく上手に歌えてすごい。しかし僕もまさにそうだけど、外国語を話すことが出来ず、こころ塞いだままで外国に居ることの寄る辺なさ、つまらなさ、閉塞感、疑心暗鬼の被害妄想感が、この主人公は全開といった感じで、そういうとき日本語を解する通訳の男性の頼もしさは救いのようだし、警察官の大人が子供に諭すような説教の内容もしょんぼりとうなだれて聴き入るばかりだ。日本人は他国人から見たらとても子供っぽく見えるのだろうし、前田敦子もそう見えるだろう。でも最後はちょっと元気になって前向きになれました。

続いて昨日観た「慶州」と同じA PEOPLEの配信で、ホアン・シー「台北暮色」(2017年)を観る。これも去年以来の再見。集合住宅、高速道理の架線下、水溜まり…ほとんど足立区というか、いや足立区よりはメリハリの利いたきれいな近代的都市だし、おそらく商業活動も人口も多いと思うが、インフラというか人々を取り巻く空間の構造は、すくなくとも撮影された場所の感じは、やけに我が住まいの足立区や葛飾区に似ているように思った。三人の若者が出てくる、それぞれバラバラに、三人のうち二人はそれなりに同じ時間を共有するけど、さして何ということもない、ただの数日間のできごとというだけだ。「慶州」にしろ「台北」にしろ、その場を映画にすることに意味があるのだと、制作者側がつよく信じていることがたしかに感じられる。だから「慶州」にしろ「台北」にしろ、どちらも風景が主要登場人物の一人と言っても過言ではない。風景というよりも、制作者側が感じている「今これ」をあらわす、そのための試行だ。本作については、取り立てて驚くほど新たしい試みがなされているわけではないかもしれないが、このような映画を気に入らないでいるのは難しいと言いたいようなものになっているとも思う。それは今回の再見でも変わらない。

続いてDVDでアルフォンソ・キュアロントゥモロー・ワールド」(2006年)を観る。有名な作品だが初見だ。見終えて納得した。なるほどこれはある意味、当時あるいはそれ以降の映画様式を代表する作品だし今も充分にアクチュアルだと思った。近未来のイギリスが舞台で、世界中の人間が生殖(妊娠)能力を失い、ゆるやかに滅亡へ近づいている。人口減少をうけ経済産業は失調し、各国は利益を確保するため難移民の厳しい排除を進めており、街中はこれがロンドンかと思うほど荒廃しており、人種間民族間の緊張はこれ以上ないほど進んでおり、テロも日常茶飯事と、まるで現在進行形の世界をやや極端ながらほぼ正確な方向性で予言したような話だ。そんな世界で主人公は殺された活動家の奥さん経由で、妊娠した黒人女性と出会うことになり、この母子を守るために奮闘するというお話で、僕はキュアロン作品は「ROMA」(2018年)は観ているのだが、やっぱり出産、この作家にとって出産というテーマが反復されてることを感じ、さらに物事の成り行きを横移動の絵巻物のように見せるやり方にも共通するものがあると感じた。というか「ROMA」は「トゥモロー・ワールド」をあらためて自分の出自に絡めた方式で語り直した感もあるかもしれないとも思った。

運転する車の窓の外から、おびただしい数の暴徒が迫りくる。あるいは逮捕された難民が並ばされて、警察官や軍隊が隊列を為していて、袋に詰められて横にされた死体が並ばされていて、逃走しようとする一群がいて、射撃の構えを取る一群がいる。車が走り去ることによって、それらの光景が流れ去って行く。あるいは主人公の背後を必死に付きまとうようなカメラは、向かう先に軍の隊列があり、敵も味方も混在したまま銃弾の飛び交い瓦礫が飛び散り人が絶命する廃墟があり、瀕死の男がいて、泣く母親がいて、血飛沫が上がる、それらの一部始終を延々と撮影し続ける。群衆が画面を横切るとき、最新型のアンゲロプロスかよ、、とも感じる、よくもまあこんなのを作ったもんだね…と思わず口に出してしまうほどだ。物語そのものはちょっと単純すぎるというか、古い友人夫婦とか助産婦のおばさんとか、あまりにも話のコマでしかないところは物足りないのだが、本作においてそれは本質的な瑕疵にならないだろう。

とはいえあの悲惨な最期を迎えた友人と奥さん、ああいう隠れ家のような自宅でひっそりと、それこそ自分の好きな(イギリス産の)音楽だけを聴きながら余生を過ごしたい…と、あんな世の中ならだれもが願うだろうし、ことに自分のような年齢になってしまえば、それ以外考えられないだろう。その結果悲劇的な終局が我が身を待つのだとしても、それはそれだと考えても、おかしくないかもしれない…