非効率

リモートワークすると残業が多くなるという話は聞いていたけど、たしかにそうだと思った。皆が可稼働範囲で仕事するので、皆がそれに合わせてしまうというか、通常ならもう動かないだろうとおもわれる更新日付が、えらい遅い時間になってもぐいぐい更新されていくので、こちらの動きも収束しなくなってしまう。これは非常によくない。資本家の戦略に完全にやられてしまっている。

小津映画で、佐分利信なんかの勤めてる会社には、当然ながらまだコンピューターはない。オフィスには机が並んでいるけど、モニターはひとつもなくて、学校でテストを受ける学生のごとく皆が一様にうつむいて、書類に何か書いたりしている。今の感覚においてこの光景は、少し異様なものに感じてしまう。あれで一体、何をやっているのだろうと素朴な疑問が浮かぶ。まあ佐分利信は偉い役員みたいな立場だしパソコン有無に関係なく元々あまり仕事なんかしてない感じだが。

でも、いやもしかしたら出来るかもしれないとも思う。パソコン無しの仕事。明日からパソコン無しで仕事しろと言われたら、やればなんとかできるのではないか。三、四十年くらい前?までは、実際そうだったのだから。昔の連絡手段と交通手段で、計算機もインターネットも無し、そうすると各拠点、各部署、各チームの情報が、時間をかけて手作業でまとめられる。それらが集積されるのは時間が掛かる。でも、あえて言えばそれだけのことじゃないか。製造系やメーカーなら設計とか、広告とかなら図案とかも皆手書きのアナログに戻るけど、やることは一緒だ。工場も生産性下がるだろうけど稼働はする。べつにいいじゃないか。手で書いたり修正する手間と、集積・計上・再計算に時間に掛かる手間、それだけ。それだけと言ってそれがどれだけ膨大な手間かという話であるが、でも物事がひっくり返るほど大きな損失ではない気がする。単に非効率でリアルタイムじゃないというだけで、事の本質を左右するものではない。リアルタイム性のありがたみは絶大だったとも言えるし、べつに大したことなかったとも言える。しかしコンピューティングがこれだけ普及したのに、労働の本質は、元々思い描かれた予想を大きく裏切って、今と昔でほとんど変化してないというのは。資本主義はやっぱり、ものすごく強い。