休日在宅

RSSフィードに大量に貯まる未読の殆どが音楽系情報である。日々大量のニュースがどんどん更新されてあっという間に古くなっていくが、知るのが多少遅くてもかまわないというか、むしろリリースされたばかりの情報じゃない方がいい。非最新情報から適当に選んで気が向いたら視聴。午前中のほとんどをそうやって過ごした。夕方五時から髪を切りに出掛ける予定があるけどそれ以外は何もない。しかし夕方五時と縛りを入れられただけで、なぜか今日一日をそのために待機してるみたいな、一日があらかじめ妙な型にはまってしまったような妙な凝固感で、なすすべなくおとなしく家にいるだけ。何をするでもなく、本にも集中できず、ぼやっとどこかで不安を感じてる仕事の案件について考えるともなく考えていたり、甚だ無意味な時間を過ごしている。連休初日ならではの弛緩というか油断の中に、元々あった気掛かりな何かが遠くから再来する。

髪を洗ったり乾かしたり、肩や背中をマッサージしてくれた若い子は、黙っているだけなら若いお姉さんっぽいけど、一言二言世間話をかわすと、その幼いものの言い方、声、目の表情から、たちまち子供らしさがこぼれだすような感じだ。仕方ないとはいえ、若いお姉さんとはじめ認識した自分に違和感を感じる。どちらかと言えば小中学生に近い、などと言ったらさすがに失礼か。それこそ、もし自分に子供があったら、このくらいの年齢だとしてもべつにおかしくないのだなあ…とか…。

サム・ペキンパーキラー・エリート」(1975年)をDVDで観る。冒頭で腕と足を撃たれたジェームズ・カーンの手術シーンや術後の経過を示すシーンや、リハビリのシーンなどがかなり克明に追われて、やがて太極拳みたいな空手みたいな日本武術に手を染め始める。杖をついての歩行訓練やレストランで苦労するシーンなど、じっくり見せる。70年代らしくややくすんだサンフランシスコの街並みと海、ゴールデン・ゲート・ブリッジの果てしない長さ。仲間であるボー・ホプキンスとバート・ヤングそれぞれの醸し出す感じ。組織の非情さと冷酷さをひしひしと感じつつ、しかし組織そのものが一貫した冷酷な意志をもって統率的に稼働しているわけでは、必ずしもないのだ。「組織が許さない」というのは、いいえ違う、組織じゃなくて「あなた」が許さないんでしょう?ということでもある。誰かと誰かの思惑が絡み合っていて、誰かが誰かを出し抜こうとしている、そうかもしれないが、そうでもないかもしれない、いずれにせよ東洋人クライアントを安全地域まで脱出させよとの命令を完遂するために、仲間を集め、限られた条件で、出来るだけのことをするしかない。声をかけた二人の仲間は、さいわい頼りになる連中だ。彼らもまた組織をあまり信用しておらず、一定の距離を置くことで自らの立ち位置をはかっているようだ。クライマックスは忍者集団との大乱闘・銃撃戦、ジェームス・カーンたちに、ことごとくやられる忍者部隊。最後は忍者部隊の大将と東洋人クライアントとの、日本刀での一騎打ちだ、…最後は事の顛末を仕掛け手綱を握っていた黒幕もやっつけて、生き残ったジェームズ・カーンバート・ヤングは、乗ってきたヨットに再び乗り込む。海原を行き、橋の下を潜ろうとするヨットの空撮ショットでエンド・クレジット。