Pinball Wizard

ゲームセンターに通っていた頃、1996年にリリースされたバーチャ・ファイター3をずいぶんプレイした。上手いか下手かで言えば、下手で、対戦すれば、大抵負けていたはずだ。

バーチャ・ファイター3は但し、ゲームとして面白く、面白すぎるところが、欠点ではあった。原理は単純なのに、コントローラからの入力が、人間の身体および動作のイメージと絶妙な按配で紐付けてあるので、ジャンケンのような単純な駆け引きのはずが、運動神経が大きく拡張された、まるで本物の格闘家の主観領域で互いに攻防しているかの如く、異様なドーパミン放出をうながし、やがてその仮構された勝負の虜になっていくのだった。

これほどまでに、夢中になりたいわけではなかった。むしろもっと退屈なものが、のぞましかった。それで、バーチャ・ファイター3からは足を洗って、同フロアに設置してあるピンボールをはじめた。ピンボールのバカバカしさは、素晴らしかった。フリッパーでボールをはじく。ボールがあちこちに当たって、当たるその場所で得点が加算される。両脇のレーンに落ちたら、ゲームオーバーだ。それだけの、シンプルで無意味で徒労で、ほとんどシーシュポスの神話的不条理感すら感じさせる、そのくせ、イルミネーションやサウンドはやけくそのように派手で騒がしい、かなりの水準にまでつきつめられた虚しさが、そこにはあった。まさにゲームの原基、不毛の王者に感じられた。

筐体は、フロア端の目立たないところに三台並んでいて、但しそのうち二台はボロ過ぎて遊べたものではなかった。真ん中の一台はわりと新しくて、各レーンもフリッパーの動きも経年の影響をさほど受けてない。これをしばらくやり続けて、ほどなくして上達した。コイン一枚で早ければ三分以内にジャックポットを獲得し、十分以内にはリプレイした。あえて自ら台を捨てないかぎり、ワンコインの投入だけでゲームはいつまでも終わることなく続いた。

バイト先を出ると、駅前を通り過ぎて、パチンコ屋の向こうにあるビルの裏側のエレベーターで二階に上がる、いつものゲームセンターのいつもの場所で、いつものピンボールにコインを投入する。いつしかそれが完全なルーティンと化していた。こういう人って、いるよなあ…と思った。何が目的で、何が楽しいのかわからないけど、とにかく毎日、ただひたすら、仕事か義務のように、それを最初から最後までやってる。文字通り、判で押したように、日々くりかえしてる。どういうつもりなんだか、さっぱりわからない、たぶん理由もなく、目的もない。何も考えてない。そもそも、内省がない。再帰がない。自意識がない。主体がない。

そういうものに、わたしはなりたい。だから、なった。

とはいえ、無目的であることがそのまま目的にはならないもので、無目的の只中にどっしりと浸って泰然自若としていられるほどの覚悟も楽観性ももちあわせていなかったので、そのうち、もそもそ、じたばたと、小さな昆虫のように、狭い場所をいじましくも無意味に動き回り、周囲の様子を確かめはじめたりもする。もしよかったら、そっちの船に、乗せていただけませんかね?と、やがて卑屈な表情で尋ねはじめたりもする。