10年代くるり

京都音楽博覧会2020(くるり岸田繁楽団)の配信を観る。たいへん良かった。良かっただけでなく、このままではいけない、最近のくるりをきちんと聴き直して取り戻さなければまずいと、やや焦る。

 

くるりには、すでに20年以上の活動歴がある。思い返すと、くるりの20年は僕の30代、40代の時間にかなりぴったりと重なっていて、それぞれの曲がその都度の記憶に紐付いていたりもする。とはいえ特に40代に入ってから、つまりここ10年のくるりについては、聞き込みがまるで足りてないことに今更気づく。しかし聴き返すと、全く聴いてなかった訳でなかったということにも気づく。聴いていたことを忘れていたのを思い出す。その一方で、大事な部分を全く聴き逃していたことにも気づく。2009年リリースの「魂のゆくえ」で、はっきりとギター主体のサウンドくるりは回帰したが、単なる回帰ではつまらない退屈なもののはずだが、くるりのギターサウンドくるりでなければ不可能と言えるような、極めて高い次元に洗練されたものだ。それはどこかで聴いた感じの、往年のロックミュージックを彷彿とさせるようでありながらも、くるり独自でそれ以外ではあり得ないようなものに磨きあげられている。これほどまでにギターロックでありながら、なぜこれほど深く真剣に聞くことができるのか不思議に思えるほどの楽曲たちばかりだ。最近ウェブで配信されたいくつかのくるりのライブ演奏を聴いて、常に驚かされたことの内実はすでに「魂のゆくえ」にあった。言葉で言うとありきたりだが、ギターの音がとてつもなく素晴らしい。「GO BACK TO CHINA」「ロックンロール」など、かつて世界最強レベルのギターリフをもつ楽曲を作り上げたバンドならではの、その後の実績の積み重ねを経た彼らにしかできない、円熟のギターロックという感じだ。

 

「魂のゆくえ」のギターの鳴りに浸り、「坩堝の電圧」の取り留めなくどこまでも拡散していくような楽曲バリエーションを旅する。他にもまだいくつもアルバムが出てるけど、聴けてないなあ・・・。ここ10年のくるりを取り戻そうとしている。