小石川

小石川植物園へ。園内は緑濃く、まだ夏が残ってる感じ。セミの声もまだ聞こえる。ただし木々と茂みの先でなだらかに傾斜する日陰になった一帯には、幽霊の炎が浮かぶみたいにして彼岸花があちこちに咲いている。

 

リニューアルした温室設備を一巡して、いつものスズカケノキを見上げて、針葉樹林の地帯を抜けて、折り返してから萩が集まる一帯を経由してぐるっと一周するいつものコース。幹の木肌の、種類ごとの特徴をじっと見ていると、それが固体のようには見えなくなってくる。今たまたまそのように凝固しているけど、ゆっくりゆっくりと垂れて溶けていく過程を見ているに過ぎないと思える。そしておそらくそれは正しい。

 

スズカケノキを見ていると、自分が生まれる前と死んだ後とで、この木は何も変わらないだろうなと思う。スズカケノキの方が、自分をみおろしているようなものだ。ちょうど僕が、足元を這う小さな蟻を見下ろしているように。

 

今日はずいぶん入園者が多かった印象。夏の終わりの気の抜けた感じと、秋がまだ始まってなくて香りも実りも足りてない感じの、どっちつかずの中途半端な感じ。より見て空気を吸い込んで楽しむなら、来月あたりがさらに良さそうかも。

 

ところで植物園に行く途中、播磨坂を下りたところにある共同印刷の建物が、今日きれいさっぱりと無くなっていることに気づいた。どうやら社屋建て替えらしい。あるべきものがそこにないと、まるでCGで消去されてしまったみたいな違和感に感じられる、そこからなぜかふと思い付いて、かつて幸田文が住んでいた小石川の蝸牛庵跡まで歩いてみた。高級で華美なところのないすごく品の良い洒落た感じの、いかにも昭和で東京な邸宅だった。