和太鼓的な

日本の、たとえば能とか歌舞伎とかの古典的なのはともかく、演歌とか盆踊りとかある種の和太鼓とかの、なんとなく日本の民衆による伝承的で土俗的っぽい匂いに、うわ、ちょっと嫌だ、耐えられない、と思ってしまう部分はある。それはこの身のルーツとなる地面に感じる鬱陶しさであり、かつそれが和と洋、あるいは正統と亜流、高貴と俗など、それらがどうにもざっくばらんででたらめに組み合わさった結果の放つ匂いなのだと思うが、そういった配合が生成すること自体は仕方がないというか、それが自然なのだろうし、おそらくそうあるべきなのだろうとも思うが、そこに何の葛藤も逡巡もなく違和感への自覚もないとなると、それはそれでキツい。中途半端な折衷というのは、面白さにつながることも多いけど、それは本来、思わず言葉をなくすような、正視に耐えがたいような、目も当てられないような、そんな有様であって、それが極まってわけが分からなくなった先の規定の感情が振り切れたところで、ようやく面白いという話になるといったものであろう。たぶん折衷されたものの妙ちきりんさがキツイのではなく、それを通常の形式として何の違和感も感じずにその気になって使ってる他人の感覚を、キツイと感じている。但しそれは、その他人の感覚の愚鈍さに苛立っているいるとも言えるけど、その他人は、じつはその形式にすっかり慣れてしまっているのかもしれない。その妙ちきりんな形式を平然と使うやり方は、まだこの僕には違和感としてしか感じられないのだけど、他の人たちにとってはそんなことない、むしろ最新のニュースタイルとして受け入れられ始めた、むしろもっともイケてる形式の到来なのかもしれない。まあ、何事も慣れは大事で、食わず嫌いは間違いの元ではある。

僕はとくに、和太鼓というのがじつにダメな人で、あの捩り鉢巻きで着物の袖をまくって白足袋で大股でやたら張り切って太鼓を叩いてる演目とかを見るのは、ほんとうにキツイ。あのイキリ方とか、それを支えてると思われるメンタリティもダメなのだが、まず和太鼓のリズムを、音楽として面白いと思えない。お寺で法要がはじまるときの、坊さんがどーん、どーんと鳴らす太鼓とか、ああいったものなら別に平気というか、ああいうのは「聴く」気になるのだが、ハチマキのお兄さんたちの集団演奏みたいなやつだと、すごく中途半端に「聴かせよう」としているところの俗っぽさに、肌がゾッとする。合いの手の入れ方や緩急の付け方も一々気に障る。…って、そこまで嫌悪をあらわにするほど、お前はそれを知っているのか?と問われたら、いや、大して知りませんと答えるしかないのだが。要するに、雰囲気で嫌ってるだけ。なんとなくだけど、すごく嫌いという状態。

…だから、仮に時代が違えば僕は、たとえばジャズなんか最悪で虫唾が走るとか思ってても、おかしくないような人間なのだろうとも思うのだが。こうして書いていると、単に自分の狭量さを確認してるだけみたいなことになって、それ以外ではないな…。

これは最近、くるり「Liberty & Gravity」という曲を、最初はやや引いたものの、最近になって、いやこれはたいへん凄い曲だ…と今更にように思いはじめて、そんなところをきっかけに書き始めたもの。

追記:「Liberty & Gravity」が、和太鼓を使った楽曲である、ということではないです。