小実昌

田中小実昌を再読している。「魚撃ち」主人公の初年兵は行軍から脱落という不名誉な事態となって、他十人前後の脱落兵らとポンポン船に乗って揚子江を下っていくのだが、脱落兵は他にも百人近くいたはずなのに、なぜ自分がその船に乗っているのか、理由や経緯が思い出せない。そしてその船に乗っていられる状況は、行軍で歩かなくともよく、食糧もそれなりに与えられ、揚子江の景色と自分が一体化したような感覚に浸っていられて、身体は楽で快適であり、ほとんど幸福なひとときであるかのように描かれている。但し水中には機雷が仕掛けられていて、それを見つけるには船の舳先に立って目を凝らさなければならないが、機雷は水面下数メートルのところにあるらしく、揚子江の濁った水では何も見えないので、あきらめて舳先に座り込んで、周囲の風景をみているばかりだ。そうしているとますます心が和み、やがて自分が消えて、揚子江と自分が、一体になったような気がしてくる。

少年兵が、なぜか舳先近くの柱に縛り付けられている。あれはおそらく気が狂ったので捕縛されているのだろうと思うが、彼がなぜ気が狂ったのかは、わからない。狂っているということは、それだけの状況がこの船にあったのかもしれないが、主人公には思いあたらない。この船に乗っているときの時間は、それが過酷で悲惨なものだったのか、安穏とした平和なものだったのか、いくら思い出そうとしても、それ自体がわからない。

十年前にも引用した以下の個所。

兵隊にいく前に東京を見て……という気が、まったく、ぼくにはなかったのは、旅行中の食糧のことがめんどうなのはべつにして、兵隊にいく前に東京を見て……というフレーズが、ぼくにはなかったのだろう。
 そして、前にも言ったが、兵隊にいく前に、というフレーズも、ぼくにはなかった。
 兵隊にいくときは、だれでも死ぬことを考えるというけれど、ぼくは、ぜんぜん、そんなことは考えなかったのも、おなじようなことかもしれない。
 兵隊にいくときは、だれでも死ぬことを考える……というフレーズが、ぼくにはなかったのだ。そもそも、兵隊にいくときには、というフレーズが、ぼくにはなかった。(「鏡の顔」)

戦争というフレーズが自分の中に無い。戦争で死ぬ、という決まった形式を、使うという発想がない。

マラリアに罹り、アメーバ赤痢の菌が検出され、下痢が続き、栄養失調が甚だしい状況で、自分はそのうち死ぬだろうと思っている。自分だけでなく、軍医もそう言う。軍医は、おまえ死ぬよ、と告げる。そうだとしても、なぜわざわざそんなことを言うのか。

さっぱり見当はつかないが、ぼくが、きょう死んでも、明日死んでもあたりまえみたいな状態にありながら、死にかけている者のマジメさに欠けており、軍医は意識しないで、それをたしなめたのではないか。(「鏡の顔」)

主人公は、自分はそのうち死ぬだろうと思ってはいるが、死ぬ前にもう一度日本の地を踏みたい、親や兄弟に会いたい、とは思わない。いや、日本の地を踏みたいとは思っている、焦がれるように思ってはいるが、「死ぬ前にもう一度…」のフレーズは、無いのだ。

フレーズ、型枠、制度、ものがたりへの、これは反抗ですらない。僕たちの無意識にある安心感を、根底からおびやかす危険性をひめた、いちばんタチの悪い、厄介な存在、これはそういう人間の書いたものではないか。