紅葉

朝の晴れた空を背景にケヤキが半分がた紅葉しており、その黄色が粘りついた絵の具に見える。ぼってりと重いボリューム感をもった物質に見える。筆で短めの線を上から下へ何度もくりかえして描いたように見える。

モノをパッと見て、少し角度を変えて見て、近づいたり遠ざかったりして、同じモノをさらに見続ける、その過程において、その都度新たな情報が後から後から出てくるから、これまでの記憶と経験に照らし合わせると、それは物質だと思う。逆に情報が最初の時点からあまりにも更新されない場合、これはモノじゃなくて絵かな?写真かな?と思ったりもする。

モノだとわかっていてそれを見たときに、モノじゃないように見えるというのは、モノにしては情報が少ないということでもあるけど、ある特定情報の要素がやけに強まった状態に、偶然立ち会っているということでもある。ほど良く整理され単純化された、そのサインを読み取っているということでもある。

その感覚の扱い方が、人から人へと引き継がれた。子供の頃からいただいているお味噌汁を、今も美味しいと感じるようなものか。