甘い罠

反省はしてない。悲観もしたり楽観したりすることもない。自信はない。そもそも未来に何も期待してない。試験対策も受験勉強もやってない。前向きな気持ちがない。教師や親とは視線を合わせない。進路は決めてない。将来の夢はない。進学するとか、就職するとか、家庭をもつとか、子供をもつとか、金持ちになるとか、貯蓄をするとか、投資をするとか、そういった一切から顔を背けて、要するに、今これだ。この時間の幸せだけを問題にしていたい。まるで無根拠に、まるで脈絡なしで、ひたすらゴキゲンで、何もかもが楽しいことばかりに満ちていて、でもそれは儚くて、せつない感傷に満ちている。部屋で一人、爆音で音楽を聴いている。

冷静な視点や知識の大切さを頭ではわかっている。しかしどうしようもなく幸福な今という枠の内に、自分はいつまでもとらわれたままで、何も身につかぬままで、何も残らぬままで、今この幸せに浸っている。言葉では説明できない、こころのなかの不思議な高揚感と落ち着かなさ、掴みようのなさに、この曲が、今だけはっきりと形をあたえてくれているみたいだ。これは音楽というよりも鏡みたいなものだ。これは音楽であると同時に今ここにいるこの自分を説明するものだ。

深夜、中学生は思う。ライブat武道館収録の「甘い罠」で観衆の"cryin'"コールは本当にすごい。今から四十年以上も前に、日本のロック女子たちは、本当に素晴らしく偉大な人たちだった。