能見堂跡

金沢文庫駅から住宅地を抜けてハイキングコースとして整備された山道を登っていくと、能見堂跡という地点に至り、それまで鬱蒼としていた木々が開け、下界の広がりを展望できる。むかし金沢八景と呼ばれるにいたった、当時は絶景とうたわれた場所らしく、なにしろ江戸時代この場所から見下ろすことのできたであろう地面は、海の入江がそこまで割り込んできていて、海と山でまだらに構成された如何にもな景色をなしていたらしいのだ。今では埋め立てられてしまったので単なる建物の密集地帯でしかないが、ここがかつて入江だったというイメージの信じられなさ、その嘘っぽさは、かえって心に引っかかるものがある。しかもこの能見堂跡も、明治はじめあたりまでは能見堂という寺があって火災か何かで無くなり、今では跡地としてすでに百年以上、山の上の何もない場所としてそこにあるだけで、つまりここは、跡地から跡地を眺めているようなもので、ほとんど馬鹿らしいというか、「かつてそうだった」的な想像だけをはたらかせるしかない。いくつかの石碑ならびに、明治時代に同場所から撮られた写真が何点か、看板として立てられているだけだ。今やなんの変哲もない、何を感じさせるわけでもない場所を「ここはかつて美しかった」との言葉で示すというのは、とても空しいとも言えるが、けして反論できない強い説明であるとも言える。