呑まない生

お酒を飲まない日は、一年のうちほぼ一日だけであり、その日が今日で、なぜなら明日が健康診断だからだ。だから会社を出て帰路に着く途中の現時点における自分は、ほとんど去勢されたかのような、かつての人間に許容されてたいはずの基本的人権の大部分がすでに失われて久しい暗黒時代を生きて幾年月みたいな、そんな味気なき我が生を見やって途方に暮れている状況ではあるのだが、ただそれと同時に、意外なことではあるが現状況に対してこれまで経験したことのない領域を見出してもいて、ふいにあらたな可能性がひらけたような予感をおぼえていて、なにか知らないけどそう思うならばその勢いにまかせて、それに未知なる無根拠な期待をかけたい気持ちも、ふつふつと湧き上がっているのだ。だってこれから就寝するまで、さほど長い時間ではないけど、その数時間を飲酒に費やさないということは、それ以外のこれまで想像もしなかったような、あらゆる行為に取り組める、何をしてもよい、むしろ何かしなければいけないというほどの、まるで未開の広大な未開拓の土地が、忽然と目の前にあらわれたかのようなものに感じられもするからだ。そうかお酒を嗜まない人にとって、夜とはこんなに可能性のひらけた時間なのか、その気温、暗さ、肌に感じる触感さえ、いつもの自分とはまるで違うもので、ましてやこれからの時間があの液体に支配されることのない、これをそのまま継続して、今日一日を最後まで生きるという、最後まで正気を保ち続けるそんな日々を行き来しているのだなと、異なる時空に生きる彼らの姿を、この境遇に自分においては今や、微笑をもって想像するのだ。