一つの脳髄

小林秀雄の短編「一つの脳髄」における風景描写の冴えわたったすばらしさ。「私」は船に乗って移動し、自動車で旅館に赴き、食事をして、風呂に浸かり、浜辺の汀を散歩する。乖離的で離人的なあやうい感覚、景色と私が、密接であるようには思われない、私は景色と、いつも残酷なまでに別個にいる。常に分断されている。それがこの私、物としての私、私という一個の脳髄というイメージとしての私なら、景色と私とに折り合いが付けられるのか、ぶっきらぼうに並列されている物と物。すべては等価で、一つ一つを数え上げて、それを毎度驚きをもって発見してるような、暗く曇天の陰鬱な海辺の景色、重々しい昔の油彩画みたいな手触り。船の振動、水の音、雨に濡れる路面、煙草、波打ち際、汀に寄せる波、雪。削られた木の香り、砂に残った駒下駄の跡、冬、それらの記録。見えたものと、聞いた音と、嗅がれた匂い、感じたことと消えたこと、そこには「移動」があり「途中経過」がある。「私」は、「私」という物、この脳髄をさらに別の旅先にまで運ぼうかと考えている。しかし、それはなぜか。移動中であること、動きが認められるうちだけに保たれ、かろうじてつなぎとめておけるもののためにか。