フルデジタル

昨日だか一昨日だったか、NHK浦沢直樹の漫勉neo」を見ていたら、ある漫画家が下書きからフィニッシュまでをフルデジタルで作画する現場の様子が定点カメラで捉えられていた。

デジタルのメリットの一つとしては要素の部品化があるだろう。髪の毛、服の皺、背景の一部などよく使う「フレーズ」や「パターン」をライブラリに納めていつでも呼び出せるようにしておき、着せ替えのように異なるものを比較して試しながら最終形を決定することができる。また、修正ややり直しがいつどの段階からでも可能であり、一旦描いた形状の縦横比や配置バランスを変更することさえ出来るし、下地や準備層に該当するレイヤーの事後変更も可能だ。とりかえしのつかなさが存在しない、不可逆性がほぼない。やり方次第では工数として捨てるところを極端に削減することも可能だろう。

フォトショップは昔使ったことがあり、その機能や方法の基本的なところはわかっているつもりではいる。…というか、デジタルで何か作るときの機能や方法の基本的考え方は、フォトショップにかぎらずほとんどすべてのソフトウェアに共通するとも言えるだろう。エクセルで資料をまとめるときでさえそうだ。シート内に計算式とマクロを張り巡らせる理由はまさにそういうことだ。間違いがあったときに要素はそのままで途中過程に手を入れることができるからそうするのだ。

しかし今更のようだがつくづく思ったのは、デジタライズとは結局のところ効率化の促進では全くなかったのだなということ。たとえば人体を描き、その上から衣装を描き、必要に応じて衣服の皺を修正し、あとから人体比率を変え、頭部の上から頭髪のパターンを貼り付けていき、最終的に人物の絵を完成させるというのが、楽で便利で効率的な作画とはあまり思えない。しかしそうではなくてトレーサビリティの徹底化、過程の見える化、すべてを分析対象にするための細分化が目的なのだとしたら、それは納得だ。とはいえそれは、いったい誰にとってありがたいのだろうか…と、やや複雑な気持ちにもなってしまうのだが。