要請

去年の緊急事態宣言発令のときも、飲食店の営業時間短縮要請は今回と同じ八時リミットで、あの時期も繁華街は閑散としたものだったけれども、それでも去年はまだ、要請にしたがわずに開けている店も少しは見かけたし、閉めるにしてもわりとユルめというか、実質ちょっと八時過ぎても、まあ大丈夫ですよ、あまり気にしないで…みたいな店も、多かったように思うのだが、今回は、様子がまるで違う。補償金もそれなりらしいし、変な意味で恫喝もほどよく効いているからなのか、僕の知るかぎり、七時以降に酒類を提供するか提供しようという素振りを見せる店は皆無である。これはすごい。去年とくらべたら道行く人々は、確実に気が緩んでいるのだろうと思うけど、八時以降にこれだけがっちりとお店が閉まっているなら、それなりに「効果」出るんじゃないだろうか。八時以降にうろついてる人々が、哀れというか、ばかみたいに見えてくるというか、何してんだろうこの人達…みたいな感じになる。もっとも、中央を外れて奥の裏通りならば、壁際の彼らが変わりなく呼び込みしているような雰囲気も漂ってるし、そういう店は相変わらず元気に営業中なのかもしれない。場所によっては、反動どころか反倫理的ですらあるような、濃厚で濃密な接触が、朝までくりひろげられているのかもしれない。以上、帰宅途中にざっと視察したかぎりでの夜の街の印象。

ルネ お床の中でまで世間に調子を合わせていらした愉しい思い出をお忘れになりたくないのね。睦事にも御自分たちの正しさを語り合ったその満足を大事になさりたいのね。あなた方は出来合いの鍵と鍵穴で、合せればいつでも喜びの扉が開くのでした。

モントルイユ なんという下卑たことを!

ルネ そして二人でいつも合わない鍵と鍵穴のことを、噂にしては笑っておいでになった。『本当にそんな鍵にはなりたくないもんだ。錆びて曲った鍵や、鍵をさすたびに苦しみの叫びをあげる鍵穴にはなりたくないもんだ。』あなたの胸もお腹も腿も、蛸のようにこの世のしきたりにぴったり貼りついておいでになった。あなた方は、何のことはない、しきたりや道徳や正常さと一緒に寝て、喜びの呻きを立てていらした。それこそは怪物の生活ですわ。そして一寸でも則に外れたものへの憎しみや蔑みを、三度三度の滋養のいい食事のように、お腹一杯に召上って生きていらした。鍵をひらけば、あちらには寝室、あちらには湯殿、こちらには厨、……それらの部屋を自由にゆききして、名誉だの人格だの体面だのの話をしていらした。あなた方は夢にも、鍵をあければ一個の星空がひろがるふしぎな扉のことなどを、考えてもごらんにはならなかった。

モントルイユ そうですよ、地獄の扉のことなど考えてみたこともありませんでした。

ルネ 想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこって、その吊床の上で人々はお昼寝をたのしみます。そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳、真鍮のお腹を持つようになるのです、磨き立ててぴかぴか光った。あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば気味がわるいと仰言る。あなた方は御存知ないんです。薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互いに姿を変え、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。兎を見れば愛らしいと仰言り、獅子を見れば恐ろしいと仰言る。御存知ないんです、嵐の夜には、かれらがどんなに血を流して愛し合うかを。神聖も汚辱もやすやすとお互いに姿を変えるそのような夜をご存知ないからには、あなた方は真鍮の脳髄で蔑んだ末に、そういう夜を根絶やしにしようとお計りになる。でも夜がなくなったら、あなた方さえ、安らかな眠りを二度と味わうことはおできになりません。

 「サド侯爵夫人」三島由紀夫