悪魔のいけにえ

テレビのチャンネルを順に移動してたらたまたまやっていた、トビー・フーパー悪魔のいけにえ」(1974年)を、気の進まないまま、なんとなく見始めてしまう。最初のいけにえになる彼と、彼女が吊るされるシーンまで見て、案の定深く気が落ち込み、いったんボリュームをミュート状態にする。そのまましばらく目をそらしていたけど、また再び観始める。車いすのデブと女が暗闇を彷徨って、デブが殺されて、女が逃げて…挙句捕まって…とりあえず最後まで観た。音はかなり小さくしていたし、車を運転してたあいつはどうなったのかは、途中を見てなかったのでよくわからない。

この気分の悪さが、何に由来するのか、まずはそのことを考えてしまう。大して怖い映画ではないのだ。昨今のさまざまな映画とくらべれば、さほどショッキングな場面がたくさんあるわけでもないのだ。どちらかといえば、ばかばかしいような、呆れて失笑したくなるような、無駄な時間を費やしたことに軽い苛立ちを感じても不思議ではないような映画だとさえいえるのだ。にもかかわらず、この不快さは何か。

あの家族、あの村、あの有り様。ちっとも現代社会とか世相とかに目配せのない、ただ単に空き家があって、ミイラみたいな死骸や骨が散乱してて、さらに別の家には変態が住んでいる。とにかく勝手で説明なしの乱暴さで唐突に個人的事情みたいなものがどろっと提示されている、そういう不愉快さに近い。

それが何しろそうだった、だから殺された、そのことを是非を問うても仕方がない、それだけを言っているみたいで、それだけを言っただけなのに、それが妙に強くて濃厚で、しつこくとれない匂いのように、いつまでも人の身にまとわりついて離れない。あたかも不意に暴力を受けた、あるいはとつぜん人前で侮辱された、それを悟った直後の気分に、限りなく近い。そんなときに見えた一瞬の景色、家々の屋根、風に揺れる雑木、太陽の光。

三兄弟の、剃刀を振り回してる真正のヘンタイ野郎は、たぶん次男で、チェーンソウが三男だろうか。あの次男が最初にヒッチハイクで乗り込んできてからの一連のやり取り…観たの久しぶりだわ。でも、思ったよりも狂ってなかった。もっと絶望的にヤバイシーンかと思っていたが。いや、これで充分にやばいのだが。そもそも車いすのあいつもどうなのか。ああいうやつを登場人物として配置するところがすごい。ホラー映画で殺される連中はみんな哀れだ。それで世界中のみんなの気を滅入らせて、それでたくさんの人々の記憶のなかに、今でも生き続けるのだ。そこがまたキツイ。でも、この映画をはじめとする、たくさんの「下劣」な映画が誰かの心のよりどころになっているのは、わかっているつもりだ。わかるつもりなだけなので、べつに何の意味もないが。

ラストの十分は、堅結びの紐がふいに解けたかのようなめまぐるしい急展開で、さすがにあそこだけはある種の突き抜け感というか、覆いが裂けてばかっと巨大な空白が生じたかのようなカタルシスはある。ああ!…となって、映画の世界から放り出されて、とつぜんこちらに戻ってくる感じはある。それを知っているから、一応最後まで観たのだ。でももう次は観ないと思う。少なくとも、しばらくはいらない。…とか言って、意外と近日中に観ることになったりもするのだけど…。(放映プログラムが同じのばっかり繰り返してる時期だと、どうしても遭遇の機会が増えてしまう。)