わがままロマンサー

文學界12月号の、鴻池留衣「わがままロマンサー」を読みはじめて、最初のうちは、これはどうなのか、ちょっといくらなんでも、あまりにもひどくないか、自分的には、苦手な部類に該当するやつではないか…と、やや警戒もしつつ、谷崎的な畳みかけるように羅列されるカテゴリー遵守の非エロなエロ小説?、あるいは筒井康隆的悪ノリ的スラップスティック?…など予想しながら、しかし読み進むうちに、そんな予想のどれにもあてはまらないところまで連れて行かれて、読了後はしばらくのあいだ、軽い躁的興奮をともなう満足感にひたった。「偽日記」で古谷利裕さんが言ってたように、たしかにこれは神代辰巳的な、捉えられたある物体の運動そのものを見たような感じがある。要素と方法だけで成立する、むきだしの運動感。小説として何かを描くのではなく、何かそのものとしての小説、ということを考えさせる。こんな運動が可能なのかと驚くような結果に至っていると思った。