沈丁花

植物と人間との関係の結び方が、どうしても人間の思うようにはいかず、人間の方から植物に近寄って行ったり、様子を見にいったりしても、植物たちはそれに反応するすべがないし、そもそも最初から人間と同じ土俵上にはいない。いつでも植物がすでに何かを終えたあとで、どうしても事後的に人間がそのことに気付くようなやり方でしか、人間はその場所にいたることができない。人間にくらべて植物が遅すぎるのではなく、むしろ植物の時間感覚に対して人間が遅すぎる、単位が細かすぎて把握のスケールが見合わな過ぎる。後からやってきた遅すぎる人としてしか、常にその場にいられないし、季節の上で何を見ても常に手遅れをかみしめるしかない。

今の季節を、何日か前までは、寒い…死ぬ…と思っていたが、今日はまだマシになった。少しずつ冬の威力が衰えていく。それは肌で感じられる。肌で感じるという言い方。帰宅途中の、マンション入り口に咲いている沈丁花の香りがピークに達している。角を曲がってすぐの、かなり手前の地点からでもすでに漂っている。そうかと思えば、すぐ近くまできたのにさっきの香りをみうしないもする。