スライド

ヴェンダースの映画「パリ・テキサス」をはじめて観たとき、ライ・クーダーによる音楽にかなりの衝撃を受けた。それは自分にとっては「戦メリ」をはじめて観たときの、あの音楽が映画に重なっている衝撃に匹敵するものだったとも言える。

ギターを「弾く」のではなく「擦る」ことで不可避的に漏れ出てしまう擦過音。本来なら技術で回避すべきノイズの発生によって音が純粋さを損ない余計な夾雑物と混ざり合い、ギターという楽器の物質としての限界が露呈する。しかしそもそもブルース系ミュージシャンのスライド奏法は、かかるギターの物質性、弦に指が触れて発生するノイズの意図的な強調を目的として試みられたのではないか。円筒形の金属を鉄弦に擦り付け、小刻みに震わせると、音の響きにきれいなビブラートがかかることはなく、耳障りなガサガサ音が何層にも重なり合う。しかしそのノイズにこそ「ブルース」的な何かが宿っているように、聴く者は感じてしまう。ライ・クーダーは本来の古めかしくノイジーなブルースを、きちり整理されたトラックの一要素として楽曲に構成し直すことで、当時もっともクリアな条件でスライドギターを捉え直した。そのとらえ直された音楽の感触が、あの映画のイメージに重なることで独特な効果を上げているのだと思う。

ジャームッシュの映画「デッドマン」のサントラはニール・ヤングによる即興ソロギターで、このサントラも単体の音楽作品として個人的には大好きな一枚だが、このときのニール・ヤングライ・クーダーの「パリ・テキサス」に影響を受けてはいないのだろうか。両者の音楽はまるで違うけれども、ギターの取り扱い方自体には似たところがある。どちらも映画の伴奏音楽として、そのような楽器の物質性を前面化させることで、何かを成り立たせようとしているところが似ていると思う。とはいえサントラを聴いたときに受ける印象はかなり違うし、映画と組み合わされたときの感触もかなり違う。