ジャック・ドゥミの少年期

Amazon Primeで、アニエス・ヴァルダジャック・ドゥミの少年期」(1991年)を観る。ジャック・ドゥミという映画監督が作ったイメージとしての、ジャック・ドゥミ作品群がある。そのことに基づいて、本作で描かれる少年時代のドゥミを中心としたさまざまなエピソードと、それに呼応するかのようなドゥミの過去作品のエピソードの断片が引用される。しかし少年時代のドゥミの視線が見たものと、その少年がのちに映画監督になって作ったとされる映画のイメージは、実際のところどちらが古くてどちらが新しいのか、一見判然としない。本作で作られた過去は白黒を基調とした画面だが、ドゥミの過去作品はほとんどがカラーである。作品はそれを踏まえて、過去シーンもしばしばカラー画面へと変わる。だからそれが過去なのか今なのか、ヴァルダの本作なのかドゥミの作品なのかの境目を緩いものにする。とはいえ、ドゥミの作品の引用はじめと終わりには、かならずそれを示すイラストが挿入されるので、観る者はそれを見間違うことがない。たしかにそれはそうなのだが、だから本作が過去作品の引用とその種明かしともいうべき過去エピソードとの並列という安定した構造を持っているとは言えない。映画のシーンが過去の少年時代にあった出来事を元にして作られたかのようでもあり、逆にドゥミの作品の各シーンをモデルにして、本作「ジャック・ドゥミの少年期」の各エピソード(映画)が作られたかのようでもある。そしてこの映画を作った映画監督ヴァルダの視線が、本作をこのようなかたちに仕上げたということとならんで、同時にヴァルダはドゥミの妻でもあるから、妻としてドゥミを見る視線があって、この映画はそのヴァルダのどちらの視線もを含んで出来ている感じがする。それは合間合間に挿入されたクローズアップのショットがとらえる、年老いた現在のジャック・ドゥミ本人の姿、痩せた初老の男性の皮膚のたるみと皺、紙、青い瞳、まるでその人物の表面をなめまわすかのようなカメラの動きは、その人物ときわめて近しい誰かの視線であり、その傍らにいたもう一人の人物からただよう存在感のようでもある。