腐臭

大きな公園の一画に、家族連れがたくさん集ってるような広場があって、遊具があり売店があり炊事場があり手洗い場やトイレなどがあって、その傍らを通り過ぎたとき、唐突に、強い腐臭を嗅いだ。夏場に生ごみが放つ匂いとか、そういうのではなくて、もっと強烈に、頭の奥のほうにまで突き上げてくるようなやつである。匂いの元が、生ごみのような中途半端な量ではなくて、あるしっかりした重量をもった、至近距離のどこかにたしかに存在する、横たわった姿のまま、いままさに細菌によって有機分解の過程にある固形物質がはなつ腐臭に思われた。端的にいって、それはとてもなつかしい匂いだった。僕が子供の頃であれば、このような匂いに遭遇することは、たしかにめずらしくはなかった。それにしても、いったい何十年ぶりに、この匂いを嗅いだことだろうと思った。この匂いが可能になるということは、匂いの元が放置されていることを示す。誰の管理下でもない、あるいはこれほどの匂いを放つに至ってもまだ次のアクションを必要としないような管理が制定されていることを示す、もしくはそんな理屈自体にまるで無頓着であってもかまわない独自なルールが稼働し、ときには保健所や自治体の牽制をやり過ごしながら、その匂いも含めた空気なり場なりをあえて保護する意志が保たれている、そんな想像を呼び起こした。そうでもなければ、今時これは、もはやたちのぼること自体が不可能なはずの匂いだった。