さいきんレコード屋に行くと、昔みたいにどんな棚から見始めても何でも引っ掛かりが見つけられて何時間であろうが延々見ていられたのが、どうもそうではなくなってきた。ほしいものがはっきりしてないのと、たまたま目について手に取って眺めたくなる気持ちが明確に減少してしまったことを自覚せざるをえなくなってきた。けっこうショックなのだが、売り場をうろうろしても、ほとんど途方に暮れる気分で、そのまま店を出てしまうようなことになりがちなのだ。いつのまにかレコード屋が自分にとって親和的な情報格納スペースではなくなってしまったようなのだ。自分がじつはその場所にあまり用事のない人物であることを発見するばかりなのだ。けっこう困ったことに思うのだが、どうしようもない。
ところで先週、下北沢の古書店を四件ばかり巡ったのだが、どの本屋も面白かった。吉祥寺だと百年しか行かないのでほかにどんな古書店があるのか知らないのだが、おそらくほかにもいろいろありそうである。ある町に個人経営の古書店が複数あるというのは、やはりすごいことだ。そう考えると自宅近所の北千住駅周辺は、絶望的なまでに古書店がない。チェーン店すらない。ありそうな感じもするのに、なぜかない。ちなみに大昔、十何年か前までは一軒あった。何度か行った。まあ十何年か前というのは、どの町でも古本屋はけっこうふつうにあった。
自分は古い人間なので、古本屋とか中古屋という場所に対して、町中にあるアクセスポイントという感じを未だにもっている。そこから別の場所に行ける接続拠点、あるいはそのチケットを取り扱う場所というようなイメージだ。三十年前なら、それはインターネットへのアクセスポイントを意味したけど、今やむしろオフラインな場のほうが、よほど別の場所の予感に満ちているような感じがする。その拠点で独自に値付けされた品物に支払い、ブツを受け取って、自宅で再生することのほうが期待の高まりをおぼえる感がある。とはいえそれが、今の制度に慣れたがゆえの一時的な錯覚に過ぎないとも言えるだろう。なにしろ自分がすでにレコード屋に"ログイン"できなくなってしまった人間であることに気づいたりもするのだから。