空爆

ビルの八階にいた。天気の良い日で気温も高く、いつのまにか誰かが窓際に行って窓を開けたようで、ほどなくして気持ちの良い風がゆっくりとこちらにまで届きはじめた。作業の手を休めて窓際の開いてる窓をのぞいて、ちょっとのけぞった。窓は端の支点から内側へ引き込んで開ける形状なのだが、ふつうそれなりの高さのビルなら、その解放許容角はそれなりに安全な、つまりある程度の大きさの物体が開けられたスペースを通り抜けられない程度に抑えられているものだと思うが、その窓はおそらくほぼ制限なしで、遠慮なくがっつりと内側深く折れ曲がっていて、大きく開けられた窓枠の向こうにはフェンスも網もない、完全なる虚空、その気になれば我が肉体が、何の歯止めも制限もなく簡単に空へ向かってジャンプできてしまえる、まさに純粋な自遊空間が、そこにはあった。

都心のビルの八階の窓際で、これだけ大きく窓が開けられるのがめずらしいと思われる。近くに立っておそるおそる見下ろすと、目の下には高速道路を走る車が行き来しており、さらにその下には巨大な交差点に滞留する車と歩道を行く人々が、認めたくない高さをはっきりと感じさせる微小さで眼下にうごめいている。もう一歩か二歩歩み寄って、そのまま身を乗り出してしまえば、このまま自分が落ちていく。地面の方向へと無音で吸い込まれていく、すべての景色がその可能性とセットになって展開されている。いや自分自身が落ちる以前に、自分がここから何か、たとえばiPhoneでもここから落としてしまえば、最悪の場合、歩道を歩く人に致命的な打撃をあたえることもできてしまう。ましてや自分自身のこの身なら、一体どうなることか、想像を絶するような現実が、ここでありえることのリアリティをたたえて平然と展開されている。身の縮こまる思いでなおも下を見ている。上空からの視線にまったく気づかず真下を歩いているおじさんの姿を見下ろしながら、危険は常に既にあるものとあらためて心に刻んだ。