牛肉

レストランで牛肉の下に大量のフライドポテトが添えてある皿、あれが出てくるといつも大変な思いをする。残したくはないが、食べきったら腹がやぶれるかも…といった苦しみに苛まれながら皿に向かうことになる。家で牛肉を食べるなら付け合わせるのは葉物野菜である。ジャガイモはきついが、葉物ならあればあるほどいい。ベビーリーフ、ルッコラ、クレソンを大量に買ってきて、大皿に溢れるくらい山盛りに盛り付ける。安い牛肉を買って塩胡椒し、あらかじめ香付けしたオリーブ油を敷いたフライパンで加熱する。加熱中は真剣にその様子を伺い、油の音に耳を澄まし、肉の内部で何が起こっているのかについて最大限の想像力をはたらかせる。それは肉への感情移入であり、もし自分が肉なら今どれほど熱を許容しているかを、肉すなわち我が身として考える。そしてここぞというときにトングをもって肉を裏返し、あらわれた焼き色を一瞥して期待を胸に秘めつつさらに待つ。ほとんど時間をおくことなく火を止めて、フライパン自体をコンロから外して少し置いた後、俎板にのせて包丁でカットし、いよいよとばかりに断面を確認する。思い描いたイメージにほぼ近い色合いを見て、歓喜の嗚咽を上げおお神様とつぶやき空を仰ぐ。フライパンに残った肉汁と適度に切り分けた牛肉を野菜を敷き詰めたさっきの皿に乗せる。赤ワインを空けて、ナイフとフォークを振り回して食す。野菜の苦みと塩分とスパイスの香りにからみ合う肉の焼き具合を、ほぼ絶妙だと自分では思うが、それでも柔らかさに欠ける安い肉を咀嚼するのはそれなりに大変で、しかしむしろそこがいい。これぞ牛肉だ。