ギター

十年ぶりくらいに弦を張ったギターを膝にのせて、とりあえず昔のように弾いてみたが、予想をはるかに下回ってほぼ何も弾けなくなっている自分を見出すことになった。よく素人がギターを弾くときの、ストロークすらおぼつかない、あのぎこちなさ、さすがにそこまで手の動きを忘れていたわけではなかったけれども、知ってるはずのいくつかの曲のコードをフレッド上に再現しようとしても、我ながらおどろくほどに、手が勝手におぼえているはずの「型」をすっかり忘れてしまっていたことには、さすがにこれまでの空白時間の長さを感じた。日常的にギターを弾いていた当時、ひとまずウォーミングアップのようにして弾いていたほとんどすべての仕草が、自分の内側にこれっぽっちも残ってないのだった。ギターの感触を思い出すというよりも、ギターを弾かなくなった自分という個体を具体的に見出すという具合だった。そもそも、しばらくその無為な行為を続けているうちに、左手の指先の痛みが耐え難くなってきて、自分の人差し指から小指までの指先が、すでにまったくギターを弾く人間の指先ではなくなっていること、指先の表皮の厚みにせよ爪の長さにせよ、鉄弦に長時間押し付けて平気でいられるような状態からまるで遠ざかっていることに、いまさらのように気づいた。ちょっと、こんなの無理、指がいたい、指の先が切れそう、とか、甘ったれた女子のようなことを思って、何十年ぶりかに抱いた楽器を、ほどなくして放擲した。というか今の自分の手が、まさにギターなんて生まれてから一度も弾いたことのない人間の指先なのだから、これは仕方がないのだ。そして今さらそれを昔のような指先に戻すのかと言うと、それはなかなかそうでもないだろうと思った。おそらくまたしばらくのあいだは、あの楽器はそのまま放置されることだろう。弾こうと思えば弾ける、そう思えるなら話は別だが、もう弾けないことがはっきりすると、ほんとうに縁遠くなってしまう。もう自分に関係ないし、よしんば元に戻ろうとしても現時点からではなかなか難しい、かつてタバコをやめて、数年後に喫おうとしても喫えなくなってしまったときと似たかんじがある。