携帯

僕が携帯電話を所有したのは1995年で、当時はまだ学生で、社会人でもないその年代としてはけっこう早い携帯電話所有者だったと思う。携帯電話などべつに一ミリも興味なかったのだが、当時のバイト先にいた人が熱病に罹ったかのように携帯電話にハマり、いきなり二台くらい契約したうちの一台を、自分がなかば無理やり譲り受けたような恰好でユーザーになったのだった。まだメールもカメラもない、単に電話が出来るだけの、文字通りの、携帯電話だけ…の時代である。ほんの数年前まで、会社のお偉いさんかヤクザの乗る車の後部座席に備え付けられていたようなデバイスが、いきなり小型化して洗練されたデザインで、一般の人々がもつ可能性として大々的に宣伝されはじめた矢先のことだ。世間的なシェアとしては、ポケベルとかPHSのほうがまだまだ優勢で、携帯電話が隆盛をきわめるのはその数年後、NTT Docomoによるiモードのリリース以降のことだが、そんなことと一切無関係に、二十代の僕は、ほとんど家にいるだけの、友達など数えるほどしかいない、じつに地味な生活を日々送っているのに、なぜか携帯電話を持っている人だった。金もなかったのに、よく解約しなかったものだと思うが、なぜかはわからないけど、とにかく基本契約金プラス幾らかを、毎月支払い続けていたのだ。にもかかわらず、たまに電話がかかってくることがあっても、ふだん電話がどこにしまってあるのかも把握してないような毎日なので、電話に出ること自体が稀だし、着信履歴を見ても何ら反応しないし、たまに気が向いて電話に出ると、かえって相手から驚かれるような始末だった。この自分の態度は、ゼロ年代がはじまってゲームやショートメールなどの機能も普及し、いよいよ人々の生活に携帯電話が浸透しはじめてからも、基本的に変わらず、あいかわらず自分にとって携帯電話は、自分の生活に対して強い意味をもたぬもので、それはたぶん少なくとも2005年頃まではそうだった気がする。その後、なんとなく気が向いて当時の最新機種に変えて、そしたらその機体が妙にカッコよかったので、それで遅ればせながらいろいろとまさぐり始めて、そのうち人並みに、そういうガジェットへの気持ちの転移というか、依存の感覚をおぼえたということになる。数年後には国内にiPod Touchも発売され、これが海外ではすでにリリースされていたiPhoneの布石みたいなものとして、当時の人々に強いインパクトをもたらしたのだった。それ以降、十何年かけて、今にいたるわけだが、ちなみに契約会社の遍歴としては、電話番号の変わらぬまま、東京デジタルホンJフォンボーダフォンソフトバンクと、四社も変わっている。それで世の中の通信事情というか、いろいろなことも変わったといえば変わった、のだろう。そして相変わらず、ソフトバンクは高いし提供プランの選択余地が狭くて、それを考えるたびに、いまも大層いらいらする。