ビール

早めにと思って、午前中に買い物しても、すでに外は暑いので、けっきょく帰宅後は汗だくになっているので、着替えてシャワーを浴びるので、そのあと結局、ビールの栓を抜いてしまう。まだ正午を少し過ぎたあたりから、そのペースで飲みはじめてしまうので、週末に買い溜めたビールが、あっという間になくなっていく。数年前の一時期とくらべて、またずいぶんビールが好きな人に自分は戻ったなと思う。茹でた枝豆とビールの組み合わせに、強い執着というか脅迫的なまでの魅力を、今は感じている。塩茹での、まだ熱い液体が枝豆の房から溢れてきて、その塩気がビールの香りと混ざり合っていて、それこそが、七月の香りだと思う。今ではなくて昔の記憶にあるはずの七月を、根拠もなく懐かしがっている。ビールを飲むときはいつも、もっと昔の、もっと若い頃に飲んだときの、あの味がしないものかと、心のどこかで思っているのかもしれない。昔のビールの味と言って、そこでふたたび思い返したいのは、ビールそのものの味というよりも、当時の自分の味覚感覚であり、当時の自分がビールというものにいだいていた印象のことだ。あの感じが、もう一度よみがえらないものかと思うのだが、たぶんそれは無理だ。あの感じはもう二度と、味わうことはできない、かつてよりも今のビールの方が、あきらかに美味しくて、飲むことの満足感も高いのだ。だからこそ退屈に思うのだ。