肥大・溶解

クロード・シモン「フランドルへの道」。ある文のなかに含まれる要素が、その文全体を、凌駕するほどに増殖する。文全体が中から食い破られるような状態。末端肥大症になった文章、このカッコが次のページのどこまで行ったら閉じるのか、このカッコが閉じたのは、そもそもどこからはじまっていたカッコだったのか、その辻褄を、あわせるだけでも一苦労だ。独白は、句点も読点もなくえんえんと連続して、とつぜんブツっと終わり、改行位置もおかしくて、いつどこで、誰と誰が語っているのかが、そもそも、この彼は誰なのか、この私は誰なのか、まるで判然としない、というよりも、それらをことごとく忘れていく。読んでも読んでも忘れてしまう。そうかと思うと、ふいに思い出す。この話が、またここでよみがえるのかと思う。まだここにいるのかと思う。だとしたら、時間の流れがもはやどちらに向かっているのか、今がいったいどこなのかもはっきりしない。

言葉でモノの表面をなめ尽くすような、洪水のようにおしよせる言葉、それらを否定したくも、ひたすら聞き入るジョルジュ、しかしジョルジュとブルムが箇所によってはほとんど混然一体となっており、互いの立場が判別しがたくもなり、

楽しかった過去の思い出、不吉なド・レシャック家の謎、そして、この戦場の圧倒的な過酷さ。

もうずいぶん長いことかけて読んでいる、それだけジョルジュのことや、ブルムのことや、イグレジアのことについて、彼らのことを、すでにある程度、わかっているつもりだが、その記憶さえ、読み続けてきたことの心の支えのようなものさえ、じょじょに溶解していくようだ。

ワックは死んでいる、

記憶の中にある女のイメージ、ほとんど性的欲望がかたちになったものとしての、ある明るさ、ある手触り、あるクシャクシャになった布の皺、匂いと温もり、それが、頭の中を緩慢な速度で移動していくときの感じ。

横倒しになって、四肢をばたつかせて、血の池に浸っている瀕死の馬、その大きな目の動き。

不思議そうな表情で、まるでこちらに何かを言いたげな口元で、横たわり死んでいる傍らのワック。

女、ブルムの欲望。