ベルヴィル・ランデブー

Amazon Primeで、シルヴァン・ショメベルヴィル・ランデブー」(2003年)を観る。最後にエンド・クレジットを見て、いや、これで終わりかよ、ステージに立つ三人の歌を一曲聞かせろよと、この映画を最後まで観た誰もがそう思いそうだけど、いや、それでもまあ、これはこれで、たしかにある種の満足にひたりながら、映画の終わりを見送ることが出来るようにも思えるのは、やはり挿入曲「ベルヴィル・ランデブー」と、かつてグループ歌手「トリプレット」であった老女三人の、すばらしい存在感があってのことゆえだろう。

ここでの「すばらしい存在感」とはつまり、あたかも歴史的に、本当にそうだったかのような緊張感、みたいな言い方でも良い。エピソードや時代考証のことではなく、かつてそのような三人組女性歌手グループが存在し、そのような歌があったということに、皮相な薄っぺらさがない。理屈や言い訳なしに、世界の描かれ方だけでそれが成立している。これはすごいことだ。たとえば日本映画が、日本の1930年代を、これほど強い説得力をもって再現させることが出来るだろうか…と思う。(その意味で「風立ちぬ」なども思い起こすと、やはりアニメという手法は、過去という時間を虚構的に再構築するには優れた表現手段なのだと思う。)

しかしフランス人にとって「ツール・ド・フランス」って、どういう位置付けのイベントなのだろうか。日本人にとっての大相撲みたいなものか。

あとフランス料理としての蛙は、一度食べてみたいかもしれないな。(蛙嫌いの妻は激怒していたが)