フランスの写真

ロラン・バルトは1915年に生まれた。「彼自身によるロラン・バルト」冒頭に掲載されている幼少期の写真が、1920年代頃ということになるだろうか。その後結核になってサナトリウムに入って施設を出たときには、すでに第二次大戦が終わっていた。バルトは戦時下においては、療養を続けながら病床でひたすら読書していた。

バルトの父親は1916年、バルトが1歳のときに亡くなる。「彼自身によるロラン・バルト」に載ってるバルトの父の父、すなわち祖父がまだ若者であった頃の家族写真はおそらくダゲレオタイプと思われるが、たぶん撮影時期は1800年代半ばを過ぎたあたりだろう。コダック社が世界初のロールフィルム・カメラをを発売したのが1888年のことで、そう言えば…と、以前に観た「ボナール展」に展示されたボナールとマルトのスナップ写真群を思い出して、棚から展覧会の図録を引っ張りだした。ボナールが写真を残している時期が、だいたい90年代から10年代あたりか。ボナールは1867年生まれなので、バルトの祖父とは同時代というか、少し下の世代にあたるか。戦争で死ぬ世代は、第一次大戦でバルトの父の世代、第二次大戦でバルトより少し下の世代、ということになるだろうか。

自分は美術展に行っても、大抵の場合図録は買わない(絵画の印刷図版はどうしても、たった今観たばかりの実作品の記憶を補完するには足りない)のだけど、このとき観た「ボナール展」では、これらの写真を見返したいと思って図録を買ったのだった。鮮烈な写真だと思う。室内あるいは屋外を、全裸の男女が楽しそうにしている。写真という真新しいメディアによるイメージを自身で扱っていることのよろこびと、その自身が裸でいることと、恋人の裸を見てそれを撮影していること、その胸の高鳴りをともなうようなよろこびが混然となっている。

ボナールがそんな写真を撮っていた時期から十年以上の月日が経過して、バルトが生まれた。幼少期のバルトと、バイヨンヌの風景、そして家と庭。バルトが「失われた時を求めて」を読んで心に思い浮かべるのは、自らの記憶にあるバイヨンヌの風景と、記憶のなかの自分自身だろう。バルトはおそらくそんなことを言ってないだろうけど、古い写真を見たバルトはたしかに「そこにかつてあった過去」を見ている。それがうしなわれた、(ブルジョワジー的な作法、空気を含んだ)「フランス」だと、感じているかどうかはわからないが、プルーストに「かつてのそれ」を見出しはするだろう。幼少期の自分のスナップショットに

同時代人?

私は歩きはじめていた。プルーストはまだ生きていて、『失われた時』を仕上げようとしていた。

とコメントしている。